妊娠や出産時に苦労する内容は、人によってさまざま。よくあるパターンの苦労もあれば、思わず耳を疑ってしまうような経験をしたママもいるようです。

そこで今回は、妊娠や出産を経験したママたちから、実際に味わった苦労話を伺いました! みなさん、一体どんなハードルを乗り越えてきたのでしょうか。

出産中のあるある話
あまりの陣痛の痛みに、自分でも信じられないような言動をしてしまったママも少なくないようです。

痛みのせいで思ってもいないことを口走ってしまったのか、それとも普段から押し殺していた本音なのか…。そんな我を忘れた体験談を聞いてみましょう。

・「まさに陣痛と戦っているとき、側にいた夫がマッサージをしてくれました。しかし…肝心の場所がずれていて、全然役に立たなかったんです。思わず『違うだろ!』『もういい! この役立たず!』と叫んでしまいました…」

・「覚悟はしていたものの、陣痛の痛さは想像を絶するものでした。限界を超えた痛みに慌てふためき、わけが分からない状態に…。

そんなとき、つい夫に『あなたとの子どもが欲しいと思った自分が不思議』『あなたを深く愛していたわけでもないのに』と言ってしまいました…。さすがに、ちょっと言い過ぎたと反省しています」

・「お産中、急に便意を感じてしまった私。『目の前に夫もいるのに、ここで便を出すわけにはいかない…』と思い、なぜか夫に『トイレに行きたい! 早く行ってきて!』と意味の分からない発言をしてしまいました。

夫に席を外してほしい、という意味だったのですが…これでは夫もちんぷんかんぷんですよね。案の定、『いや、俺は大丈夫だよ…?』と戸惑っていましたよ」


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ネットの反応

1.
自分が思うに、男を仕事の激務から解放すべき。

そうすれば、男性ほど働けないからと職場で女性を忌避することも辛く当たる必要も無いし、余裕が出来た男性は家庭や女性を気遣えるし、結婚して子供が欲しい女性が男みたいに働かされては両立できぬとキャリアを捨てることもない。

奴隷労働の企業戦士が基準で余裕がないから日本社会に優しさが無いのだと自分は思う。
理想としては夫婦ともワークシェアで十分に余裕のある暮らしができるようになれば出生率もかなり伸びるのではないか。

2.
・妊娠中辛かったこと

一人目妊娠8ヶ月の頃、旅先で結構な距離を歩いて 疲れたと言ったら、普段からたるんどるからだ!と旦那に言われました。
それを聞いていた義両親も義姉も何も言わず…

二人目妊娠中、つわりで上の子の面倒をしっかり見れなかったのですが、たるんどるな!と言って旦那に 蹴飛ばされました。

・産後辛かったこと

一人目出産後、義父に、二人目は一人目より楽だから とか言われ…アンタ産んだことないのに分かるの?と言ってやりたかった。

義母が病室に花を持ってきてくれたのはいいけど、痛くてろくに歩けないのに 花瓶の水換えなんてできないし、毎日見舞いに来て…横になりたいのに 起きてお茶まで出して…本当に迷惑でした。

二人目は義実家から離れた病院で出産しましたが、病室にハンバーガーを買ってきて義姉の子に食べさせたり、常識なさ過ぎで困りました。
何も言わない旦那にもムカつきました。

3.
私はつわりと体動かな。
陣痛も辛かったけど、リウマチの痛みの方が激痛に感じました。
何食べても気持ち悪くなり、においだけで何度も吐いたのが辛かった。
お腹の中で子供が蹴ったり伸びたりして予想以上に体動も激しくて何度か突き破って出て来るんじゃないかと心配しました。
4.
20年ほど前、陣痛はもちろん痛かったけど、出産時の局部が裂ける痛さより、胎盤とかが出る後産の方が、想定外で痛かったです。
縫ってもらいましたが、痛くてドーナツ座布団を借りたり、2日以上、尿が出なくなってカテーテルで排尿してもらいました。
退院前日にトイレに行ったら、尿に白い物が幾つか雑ざっていて
「素麺?食事に出た?」
と。助産婦さんに聞いたら
「縫い糸だね。抜糸しなくても良いように自然に溶けたりするやつだから」
と。
陣痛開始から8時間足らず。
痛くて喚いたりしんどかったけど、安産なんですよね~。最初に言われた時は、納得いかなかったです
5.
産んだ後、裂けたとこ麻酔無しで縫ったけど、全く痛みなんか感じず、先生と子供の名前の事を普通に話していた。陣痛や出産の時の痛みってそれ以上って事だもんね。相当な痛みを耐えて女性ってつくづくすごい。
6.
陣痛の苦しみ。産んでからは、人間を育てる大変さ。石田家みたいに沢山生むお母さんは本当にもうスゴすぎる。ツワリ、陣痛、子育て、これ以上の試練はない。それを何人も…………。本当にぶっ倒れそう。
7.
妊娠中も出産も男には辛さや痛さがわからないからしょうがない。けどわかってほしー。
んで喧嘩なるんですよね。一番大変なのは産んでから、ですよね、、、
8.
今年出産をしました。
妊娠高血圧症になり、足はパンパンに浮腫み、
身動きの取れない体になり、妊娠9ヶ月の時に大きな病院へ転院に。
転院先は当初より遠くなり、夫に毎回運転してもらい通院。血圧がだいぶ高くなり、命の危険性もあるので入院。
誘発分娩を試みるもうまく陣痛は来ず、緊急帝王切開に。
予定日より少し早くなってしまったけど、無事に生まれて良かった。
ずっと付き添ってくれた夫には感謝しています。
9.
私の場合、分娩台の操作する機会のそばに居た旦那に「重力の力を借りたいから分娩台の角度を上げてー?」
すると旦那は、分娩台の角度をあげる↑
先生「これじゃ裂けるから少し下げて」
旦那、分娩を下げる↓
この繰り返しで分娩台が上がったり下がったりする中・娘が生まれました
実習で見に来ていた学生さんも笑いをこらえるのに辛かったと思います
10.
子供が出てくる前に
本音が出た。
11.
妊娠中に母が認知症になって、ずっと母がやらかした事の後始末に追われてたこと。
出産当日、陣痛っぽいのが来たから病院に電話してるときに母の被害妄想が爆発して
「どうせ母さんがいても役にたたないから出ていきます」とか言い始め徘徊しそうになってしまった。仕方ないからお腹痛いの我慢して必死で止めた(^_^;)
偶然仕事が休みだった姉に電話して助けに来てもらったけど、そうでなければ路上で産むところでした。
13.
「出産は女の戦(いくさ)でございます」と時代劇で言ってたけど、まあ、その通りだろう。
女は妊娠すると、全員、この時代でも、いくさに行くわけだ。
すごいだろ。草食系の男子ども。
14.
パートナーがサポートするのは当たり前。
相手を労って辛いよなって共感していくべき。だからまぁ意味不明な言動があったって問題ないと思うし、役立たず!って感情的になってもいいと思う。そんだけしんどいんやから…
ただ、パートナーも辛いからありがとうとかごめんとか労ってあげるべきよね
15.
3人目は里帰り出産しなかったのですが、陣痛が始まり病院へ。そこに義母が来たのですが、話したいことがあるって急にお金の話。

あれには本当にムカつきました。まぁ、原因は夫だったし強く言い返すとあとが面倒だから言い返さなかったけど。

産後2ヶ月辺りに体調不良酷い出血起こした時にまたそんな話をされた時は我慢出来ずに言い返したら、旦那も義姉もお前が悪いみたいなことを言って来てメンタル崩壊する所だったわ。もしまたそんなことあれば実家に帰ると決めてます。


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16.
もうケツの穴が痒くて痒くて…。
17.
悪阻以外では、妊娠後期に鼻血がよく出て困ったのと、何故か陽に当たると湿疹が出てしまい、夏の暑い盛りに妊婦でただでさえ暑いのに、薬を塗って包帯だらけになったのにかなり困ったのを思い出した。
18.
理解してもらわないと出産できない社会は日本だけだよ情けない。
19.
お産近くなると、こむら返りがね。寝てるのに足がつった痛さで目が覚めたこともしばしば。

お産の日は大量の汗が出たね。あんなに汗をかくことって、恐らく一生ないと思う。

20.
もっと他にも一杯あるだろうね。
次は旦那さんの方も聞いて欲しいね。
21.
やはり陣痛ですね。2人出産しましたが しばらくの間は 妊娠した夢を見るたび また あの陣痛を味わうのか…と 喜びよりも 大丈夫かなと 不安でいっぱいな気持ちになって目を覚ました事が何度もありましたね。
22.
何が辛いって切迫早産で19週から入院した事。
ベッドの角度もフラット、ひたすら天井を見て張り止めの点滴の日々。出産の痛みに比べれば比較にならないが点滴の針の位置が痛く2人の医師が連続失敗「まともに点滴打てるドクター連れて来いや」と言ったらびびったたのか、翌日まで放置された(笑)大学病院だからドクターも沢山いたはず(^^;
長期入院で良かった事は看護師さんの名前と顔が完全一致。分娩室に日勤終わった看護師さんも夜勤の看護師さんも○○さんの出産を見届けたい、と沢山来てくれた事(^^)
ほっこり分娩だったけど、その後の悪夢の育児が始まる。。。
あの時は先生はじめ看護師さんに大変お世話になりました。
23.
結局さ、昭和世代の人たちは自分の価値観でしか物事を図れないんだよね。
だから「私たちの時には…」なんてお節介な言葉が飛び出す。
24.
下の子を出産する3日前に、上の子がノロウィルスに。。。たまたま旦那の実家にいて次の日、私以外全滅。地獄絵図でした。しかもマタニティーブルーがひどくてうつ状態で大変だったなぁ。年末で計画出産だったから、1人で病院行って、入院して、1人で産んだわ。
家族はノロから復活しても病院来ないでって言われたから実家の両親しか来なかったそんな思い出。
25.
陣痛や出産の痛みって痛いけどすぐ忘れちゃいました。もう一度やれって言われると嫌だなぁとは思いますが…。それ以外のことってすっごく覚えてます。具合悪かったこととか、不親切な人のこととか。
理解を求めても、人それぞれ価値観があると思うので難しい問題だと思いますが。
産前の私は仕事休みづらいなとか思ってましたが産後はとっても図々しくなってしまいそんな罪悪感も感じなくなりました。子供を守る、育てるために女性はたくましくなるのでしょうか…汗
26.
そこそこのつわり等、妊娠期間中の苦労もしたので産んでスッキリかと思ったら、病院から容赦なく講義だの子供の世話だのさせられた。
私はまともに歩けなかったし、お尻が痛くて座れない、寝返りすらうてない、お風呂なんか退院まで一度も入れなかった状態なのにですよ??退院しても家で匍匐前進。最初の1ヶ月は生涯で一番過酷だった。子どもは比較的手がかからず育てやすかったのが救い。
27.
つわり。つわり。つわり。
そして、手根管症候群とドケルバン症。
(つわりと切迫で寝たきりでしたが発症、手の使いすぎ関係ない)
あと、やっぱり…つわり。
難産だったので分娩も大変でしたが
つわりは何ヵ月も休みなく続く。
分娩台の上まで吐いていました。
もう妊娠出産無理。トラウマ。
28.
陣痛の痛みより、頭が半分出たところで助産師さんが『はさんで!!』って言ってきて、数分ですが一番痛い状態をキープしました(笑)
切れないためかな?でも、その時は陣痛も長くて丸1日耐えた後だったので挟んでる時間が永遠に感じました。
立ち会ってくれた主人に『私、頑張ってます!!』って宣言したのをハッキリ覚えてます。
退院するときに18万円の請求がきたのも驚きました。
29.
陣痛中、気がつけば義父母と義祖父母が病室にいた。
「電話しても出ないから来ちゃった」だって。産まれたら連絡するからそれまで来るな!ってしつこく言ってたのに。
小さな産婦人科でいざ産まれる!って時まで病室で陣痛に耐えるんだけど、狭い個室に大人5人…。しかも割とお産が進むのが早くて、子供の頭が半分出そうな時で、下着もつけず、大股開きしてるところ…。もう最悪だった。
他の人のお産で分娩室が空くのを待ってたから必死にいきみたいのを我慢していたので、出て行けとも言えず。
マッサージしてくれるとかお茶飲ませてくれるとかそんなこともなく、ただひたすら観察されるだけ。

義弟嫁のときは、病院に行きたがる義父母を止めるのに必死になった。

30.
断然、つわりです。
この世のものじゃない程の気持ち悪さと嘔吐、激やせを味わい8.5キロ痩せました。。。
ミニトマトしか口に出来ず、それでも吐いてしまって廃人と化し4ヶ月寝たきりになりました。
水も炭酸も駄目。
ミニトマトの水分のみで、目眩やら意識朦朧もあったのですが入院はさせてもらえませんでした。
それでも子供は大きく育ち、3400g近い大きさで元気に産まれてくれて初めての神秘を経験しました。


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