ネットの反応

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首都圏に住んでいます。子供たちの修学旅行が京都奈良のことが多いようですが、是非とも広島長崎、どちらでもいいので修学旅行先として加えてほしいです。私自身は山口県出身なので、小学生の時に広島、中学生の時に長崎に修学旅行へ行きました。もちろん観光地も回ったし楽しかったのですが、原爆のことを学ぶ機会を小中学生の時に持てたのはとても良かったと思います。
最近は北海道や沖縄(ひめゆりの塔などもありますが)、コロナで無くなったとはいえ海外への修学旅行も当たり前の時代になりました。
しかし、大人になってからでも行ける京都奈良、北海道や沖縄ではなく、敢えて広島や長崎を子供のうちに訪れてほしいと切に願います。自分から行く機会はなかなかないと思います。
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被災地を訪れることに意味がないとまでは言わないけれど…
戦争体験を聞くよりも大事なことを、日本はまだしていません。
先の大戦が起こった経過と総括、回避することは不可能だったのか、日本人が当事者意識を持って議論しないと戦死した人達は浮かばれない。
一部軍部や天皇の責任追求する声は多いが、大戦初期は多くの国民が戦争を支持していたことを話したがらない人は、もうほとんど墓の中に入ってしまった。
1-2
中学生の時修学旅行で広島に行きました。中2の初めごろから平和学習の時間を設け少しずつ戦争の悲惨さについて学びながら中3の5月に広島の原爆ドームや平和資料記念館などに行きましたが特に原爆投下直後を再現した展示など気分が悪くなる生徒が複数でて体調不良で帰る生徒も何人かいました。修学旅行の楽しい気分が全て吹き飛ぶ衝撃的な内容で青ざめた顔でみんなでてきたのを覚えています。確かに修学ですから戦争について学ぶことは趣旨にも合致していますし必要な教養ですが、一方でもう少し京都や奈良で楽しい思い出が作れる修学旅行でも良かったのかもしれないとも思いました。

年齢を重ねた今では貴重な経験だったと思いますが楽しみにしていた修学旅行ですることなのか経験者としてはそれはそれで別にしていただけたら有難いといった感じです。

1-3
特に広島は、京都を抑えて外国人観光客にとっては人気ナンバーワンの観光地ということですよ。
平和教育なんて戦争を知らない世代がただでさえ大変な教育課程の中で改めてやらなくてもいいとさえ思います。
原爆資料館を訪れるだけでも、平和教育になるから。そして、生徒だけでなく戦争を知らない先生方にとって大事な経験になると思います。
1-4
修学旅行で行くのではなく、子供時代なら家族で、または大人になってから自主的に行くほうがよいのではないか。
なぜ広島は大人になったら行かない場所なのか。
強制的に行く場所ではないのではないか。
親が子供に教え伝えていくべきものではないのか。
大人になって何度も広島を訪れる身としてはそう思います。
1-5
観光の一環で戦地を巡るダークツーリズムとゆうものがあるのを最近知りました。
日本は特に、沖縄、広島、長崎など激戦地や戦争遺産が沢山あるんですよね。
敗戦国となった日本は、アメリカによって愛国心を徹底的に奪われ教育は左翼的。
犠牲となった国民、軍人についての慰霊を希薄にさせられた日本人。教育って、右にも左にも簡単に向かせる事が出来る。ある意味洗脳です。
子供のうちに戦地、遺産を見ておく事はとても大事だと思います。

1-6
普通の国民も戦争に非協力的な人を非国民と呼んで非難してませんでした?
何なら当局に密告して政府に協力したりして。
何かの番組で見ましたが、特攻隊に志願せざるを得なかった理由として、故郷の家族が町内の人から受ける仕打ちを恐れたからと報道されてました。
当事者達は戦争が終わると手のひら返しで、軍人だけに責任を押し付けてほっかむり。
学校の先生も文屋さんも、町内会長だって戦争に協力していたことを忘れてはならない。
1-7
やっぱり関東や東北は厳しいですよね…。
私九州で、長崎とかまあまあ近いですが、今度の修学旅行は京都や大阪などに行くみたいです。
やっぱり修学旅行なので、学びというよりも娯楽のほうが強いのではないでしょうか。それに、小学校の時に(中学校などもありますが)平和学習などありましたし、今はそれで対応しているのではないでしょうか。
1-8
それはアメリカ人に言って欲しい日本人としては、いかにメディアリテラシーを持つか、同調圧力に屈しないかを考えるべき。コロナ禍で日本人は戦時中と同じことをしている。変わらないから、戦争が繰り返されている。(このコロナ禍も戦時中と私は考えています

1-9
中国地方の学生は学校で必ず広島に一度は行くと思うんだけど、九州地方は長崎に行くのかな。原爆資料館の衝撃や被爆者の語り部さんの話は子どもなからに心に深く刻まれましたが、今の広島原爆資料館は、現実の悲惨さをオブラートに包んだような展示のようで残念です。
1-10
広島の原爆資料館には何度も行きましたが、最近は外国人ばかり目につきます。日本人にはもう興味がないように見えて、とても残念です。今年の8月6日の8時15分に黙とうをささげる日本人がどれだけいたのでしょうか?東京には、今日が何の日かも知らない人がほとんどではないでしょうか?最近では、テレビやマスコミもあまり原爆の事を取りあげなくなりました。
広島の学校は、8月6日が夏休み中の登校日だった記憶がありますが、東日本では原爆に対する意識が低く、学校でもあまり教育がされていないと思います。いつごろからかは知りませんが、この時期は、明らかに夏祭りの方が重要になっています。無病息災を祈ると言いながらも、同じ国で「ねぶた」の日と原爆被爆者の追悼の日が被っているわけです。そして、その日が原爆の日だとわかって跳ねている「はねと」はほぼいないのでしょう。
2
私の頃は、食事を残したり、わがままや贅沢をいうと、戦時中はと親から言われました。
その親も戦争は経験してませんが、親や親戚が話していたり、暮らしも豊かではない時代でしたからね。家庭でも話すのは大事ですね。
毎年この時期だけでなく、日常から話していれば、大人になるとそれがジワジワと増し、更には親になったり孫ができれば平和を更にねがうようになると思います。
私も祖母から直接戦時中の話を聞きました。軍事工場で働いている時に空襲に会い、命からがら防空壕に逃げ助かったと言ってました。時間はわからないが、爆撃の音がして煩いから耳を押さえていたと言ってました。怖くなかったかと聞くと、怖いも何も終わるのを待つしかなかった。怖いとは思わなかったと言っていました。空襲にあったと聞いて父親が、道の悪い中自転車で4.50キロ走ってきたと言っていました。どんな気持ちで漕いでいたのかと想像するだけで胸が痛いです。
2-1
教え方としてあの頃は贅沢もできなかったからちゃんとしなさい、というのは私も父親から言われたけど、ピンとくることはなかった。なぜならその時代のことが分からないから。
食べ物や物を大事にして欲しかったら、それを作った人がいるんだよ、心を込めて作ったんだよ、という方がいいと思う。
父親はいろんなトラウマを抱えていて、表面的なことしか言わない事もあるから、戦争時の人たちも、そういう人が多いと思う。
2-2
今時はそんなことをいうと、
「今は爺ちゃんたちが始めた戦時中じゃない。だいたい、負けたんだからいつまでも欲しがれないなんて自不条理じゃないか!」といわれる…。平和の有難みを感じ、感じさせるには、別の表現が必要かも。

2-3
語り継ぐことは大事ですよね。>被爆者で作る平均年齢81歳の合唱団「被爆者歌う会ひまわり」が高齢のため、今年で最後となる歌声を響かせた。

そうでしたか。ますます語り「継ぐ」ことが大事になって行きます。

2-4
アインシュタインらの提唱によって、
マンハッタン計画を推進させたルーズベルト。
ナチスドイツも無理だったのに短期間で完成させたオッペンハイマー。
原爆投下にゴーサインを出したトルーマン。↑
ナチスは無理というか、ヒトラーがあの大戦中に作ろうとしてなかったけどね。
もちろんヒトラーは「この戦争中は無理じゃね?もっと確実なところにその力回せよ」という方針だったわけだから無理と諦めてたんだろうけど、やれと命令してたらどうなったかね。

2-5
アインシュタインらの提唱によって、
マンハッタン計画を推進させたルーズベルト。
ナチスドイツも無理だったのに短期間で完成させたオッペンハイマー。
原爆投下にゴーサインを出したトルーマン。
2-6
軍 事 工場ではなく 軍 需 工場
3
比べてはいけないのかもしれませんが…
前首相1人が亡くなったときは、どのチャンネルも特番で、全く情報も更新されずダラダラと放送がされていた。でも、何年も前の話とはいえ何万もの人が亡くなった日なのに、定時のニュース内でさらっと過去や今も苦しんでる方にふれてお終い。国民性なんでしょうか、政治なんでしょうか、毎年なんかなあと思います。今日が何の日か、終戦がいつなのかわからない若者もたくさんいますしね。今はウクライナ、ロシアの実情もあるし、中国の領海侵犯も目立っていますし、平和を実感するためにもこういう日をもう少し大事にしてもいいんじゃないかなと思いますけど、どうなんですかね。
3-1
個人的にはニュースとして取り扱う時間や面積よりも、いつも同じような角度からしか取り上げないことに「なんかなあ」と思う。戦争はよくないのは当然だし政治や軍の暴走が危険なのも当然だけど、日本が勝ち目のない戦争に走ってしまったのは何よりも当時のマスコミとそれに煽られた世論の暴走が一番の原因だったということは、マスコミ自身は絶対に伝えたがらない真実のひとつ。

たまにはそのことに触れるメディアがあってもいいと思うけどね。
それこそコロナ禍でも同じことが起きたわけだし、そろそろその総括もあわせてやる価値はある。

3-2
私は祖父が広島で被爆した被爆3世だが、ここ15年ほどは広島長崎の原爆や平和祈念式典、被爆者などのワードが、特定のイデオロギーによる政権批判・体制批判の道具に成り代わってしまっているのを感じる。
そこが改善されない以上は、メディアで取り上げることは本来被爆者たちが伝えたいメッセージがきちんと伝わらないように思う。
そもそも、安倍元首相の暗殺というニュースは、そことは別問題ではないだろうか。世界に影響を与えた人物でもあり、わが国を長期にわたって指揮してきた。その功績と暗殺という事実をニュースで取り上げることの何が問題なのか。
3-3
今年は戦争をしているところが多いので、核、を聞くことが増えた。長崎で、小学校までは、式典の日は登校日で校長先生の話を聞かされた。
成長と共にそれもなくなったけれど。

地元にいると、平和、より現実が大事だと感じる。

3-4
そうですね。時代の流れでしょうが、終戦祈念日の前には戦争映画が必ずあり特番も組まれる状態でしたよね。今ではバラエティー番組が多すぎて、若い世代は考える事はないでしょう。
3-5
>平和を実感するためにもこういう日をもう少し大事にしてもいいんじゃないかなと思いますけど、どうなんですかね。そうですよね。アメリカによって原爆投下された被害の事実だけでなく日本側も風船爆弾攻撃でアメリカ人への無差別攻撃を行っていた事実を広めるべきですよね。

3-6
今年はAbemaの生放送で拝見しました。黙祷、子供たちによる平和宣言など、市長県知事挨拶、総理挨拶…そこまでが平和式典かと思っていましたが、思いの外長く、いろんな方のスピーチや歌があり感動しました。

テレビ各局は、時間の都合で切り貼りせざるを得ない。そこに期待などせず、のんびり見たい人は、ノーカットで放映してくれるメディアで見ましょう。

3-7
洪水被害も当たり前になったのか全然やらない。大事なのにやらないニュースが多過ぎると思う。特に7時のNHKニュースは30分と短すぎると思う。
3-8
さすがにこれは言いがかりだろ。リアルタイムで情報が更新される可能性かあることと、過去のことを比較しようとするのはおかしい。

マスコミ批判をしたいだけの人にしか見えない。

3-9
資料は沢山あるから個人で知りたいことを調べればいいし
何かしらの活動をしたければすればいい、誰も止めないし邪魔もしない
3-10
たいていの人が仕事の日だから仕方ない部分もありますが、私は今日は平和式典をNHKの生中継で観れました。
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20、21年の式典では、新型コロナウイルスの感染リスクを避けるため「ひまわり」の合唱は見送りに。長崎市のコミュニティーセンターで続けていた週1回の練習もできなくなり、会員らは「歌う」という心のよりどころを失った。→最後になった背景には、高齢化があるのだと思います。

しかし、こういったコロナ感染症対策が奪った事が多い事は知ってはいましたが、多岐に渡るのだと改めて思い読みました。

今にして思えば、練習の問題は判りませんが、屋外での式典での合唱見送りはナンセンスだと思いますが、当時の社会コンセンサスからは難しかったのでしょう。

お疲れ様でした。

4-1
趣味を無くせば、健康寿命も減るんですよね。そろそろ、時代が変わった事を受け入れるべき。
新しい病気が発生すれば、平均寿命が下がるのは当たり前。
平均寿命を惜しんで、健康寿命を捨てるのは本末転倒では?

4-2
>コーラスやカラオケがしょっちゅうクラスター出してましたよね。昼間の高齢者カラオケはクラスター出してましたが、コーラスはそもそも練習ができなかったので、初期のごく僅かな例を除きクラスターなど出ていません。

風評被害になるので、イメージだけで語らない方が良いと思います。

4-3
>・・練習の問題は判りませんが、屋外での式典での合唱見送りはナンセンスだと思いますがコロナで集まるわけに行かなかった、特にリスクの高い高齢者どうしならなおのこと、だから練習ができない、練習ができなければ屋外だろうがどこだろうが、実施できません。

4-4
練習場には屋内を使いますから。本番が無いなら練習もしないので合理的な判断と思う。
コーラスやカラオケがしょっちゅうクラスター出してましたよね。
4-5
cgk*****さんコーラスでの生徒の大規模感染ありましたが覚えてませんか。カラオケどころじゃない人数でしたよ。
コーラスもカラオケもやることは同じなので感染の危険は同じであり、カラオケよりも大人数で行うコーラスのほうが感染者が多くなりやすいでしょう。コーラスの時だけコロナが弱毒化するわけでなし。

4-6
コーラスはリスクが高いと指摘されてたよ。だいぶ経ってからもマスクして演奏会とかやってたし。今はワクチン打って気にせずやる方がいいフェーズとはいえ。
5
皮肉な話だが、こうやって核の悲惨さを訴えれば訴えるほど、核保有国はその核で他国を脅す効果を期待することになる。
核を持つ国が国際社会において弱い国ならば、経済的・軍事的に包囲して核放棄の圧力をかけることもできようが、現実には核保有国は経済的にも軍事的にも弱くはない国々である。冷戦以後ひさしぶりにロシアが核で他国を脅した。
冷戦の頃のように核をもって核に応酬すると言い切った国は、今回はいなかった。
何をもって核に対抗するのか。
どうやって核を放棄させるのか。
実効性のある手段が見えない限り、核保有こそが核の脅威への唯一の対抗策となってしまう。

日本はどうするのか?

5-1
核兵器は御守りみたいな物だから、あったほうがいいのは当然だけど、国内はもちろん、アメリカはじめ殆どすべての国が保有に反対するので日本が保有するのはかなり難しい。強行して保有したら多大な制裁があると思うべきでしょう。中国も以前は反対しない立場を取ってましたが、日本がアメリカ指示に従ってしか動けないので日本の主権はアメリカにあると判断し反対にまわりました。
5-2
核兵器は非人道的であるばかりでなく、環境に与える影響も大きく、なくなるべきだと思います。化学兵器、生物兵器も、禁止されているように、核兵器も禁止にするべきだし、できるはずだと考えます。
5-3
平和は大切、でも、平和のために核を捨てるという選択をしたから今の日本に成り下がった。平和のために核が必要だという考え方も必要です。
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>核保有こそが核の脅威への唯一の対抗策となってしまう。
そのとおり。
一撃で敵を粉砕できる武器は核兵器しかない。