35人の命が奪われた京都アニメーションの放火殺人事件から1か月あまり経った27日、京都府警は身元が未公表だった犠牲者25人の実名を新たに発表した。ただ、京アニ側は事件発生後から被害に遭った社員の実名報道や遺族への取材を控えるよう要望。一方で今月20日に報道機関12社でつくる
「在洛新聞放送編集責任者会議」が25人の身元公表を京都府警に要請をしたことに対して非難の声が上がり、翌日には反対の署名サイトも立ち上がった。
実際、25人の遺族の中で名前を公表してもよい、あるいは公表してほしいと答えているのは5人にとどまり、20人は公表しないでほしいと考えているのが現状だ。
しかし、27日の公表直後、実名を報じるメディアが相次いでおり、ネット上には強い憤りの声が殺到している。
事件報道において、被害者の実名を伝えることは本当に必要なのだろうか。同日報道のAbemaTV『AbemaPrime』で議論した。
■元BuzzFeed古田氏が説明、実名を報じる「5つの理由」
そもそも、実名報道が必要だとマスメディアが考える理由はどのようなものなのだろうか。元朝日新聞記者で、BuzzFeed Japan創刊編集長も務めたメディアコラボ代表の古田大輔氏は
「僕は新聞記者として、その後に所属したメディアの記者として、何度も実名報道をした。しかし、実名報道が絶対だとは考えていないし、遺族や関係者の意向を最大限尊重する必要があると考えている」とした上で、次のように説明する。
「様々なポイントがあるが、大きく5つに絞って説明する。
第一に、国民の“知る権利“に応える、ということ。“5W1H“という言葉で最初に来るのが“Who=誰が“だが、報道機関はそれに応えることを使命にしているし、そのための能力もある。
第二に、間違えた情報の拡散を抑える効果だ。先日の“あおり運転事件“では、“ガラケー女“であるとして無関係の女性の情報が広まってしまった。
もし容疑者の実名が報じられなければ、あの女性はいつまでも容疑者としてレッテルを貼られ続けていたと思う。
第三に、捜査がきちんと進んでいるのか、チェックする効果だ。
第四に、このような事件が二度と起こらないよう、再発防止のための世論を喚起したり、新しい法律を作るうねりを作っていったりすることに繋がるということだ。
最後に、きょう身元が公表されたうちの一人、石田敦志さんのお父さんが会見でおっしゃっていた“忘れない“という効果だ」。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190828-00010015-abema-soci
ネットの反応
個人情報保護って言われて久しいが、今回この事件での、個人情報の扱いはどうなのかなって思う。役人、公職の税金で食ってる者がやらかした場合は、知る権利が我々にあると思うが。そっとしてあげたいってのが、大方じゃないのかな。
もし遺族の意向に反して実名報道されたのなら極めて遺憾。
報道しないことで無関係の人が亡くなってるとかデマが流れたり
昔交流があった関係者でもその死を知ることが出来ないって事態が起きえるんだよ
普段デマを流しまくってるネットのバカどもが余計なことしないためにも公表は必要
マスコミの大多数が、興味本位の低レベルの奴ら。
オマケに記事の内容も間違いが多いし、責任も持たない。
間違いを指摘されても、謝罪も中途半端。
そのうちに、天罰が下るから。
「国民の知る権利」と、個人の「知られたくない権利」のどちらが大事なのか。
公益性を誰がどのように判断するのか。
いったん報道されてしまったら「知られたくない権利」は回復不可能。
それなのに報道してよいかどうかの決定をマスメディア側が一方的におこなっていることこそ問題である。
報道される前に、その実名報道の妥当性を判断する独立した第三者が必要と考える。
「国民の知る権利」の名の下に暴走するマスメディアをしっかりと抑えることができる独立した第三者でなければならない。
難しい問題だと思いますが、嫌と言っている方々がいるのに報道するのであれば、その責任者が面を出して「私が責任を持ちます」くらいの発言をしてから報道するのが筋かなと思います。権利を主張するなら責任が付いて回るからそれくらいは当然。
で、こういう議論が起こる原因の一つとして、報道する側に報道される側の立場に立って考える能力が欠如しているからだろうなと思います。
古田氏の5つのポイントが理由であれば加害者に対しても同じように報道しなければおかしいと思う。特に再発防止に必要というならば加害者がどういう生い立ちでどのような家庭環境で育ったかを親・兄弟に対して取材、聞き取りをして実名で報道するべきだし、マスコミが得た内容から事件の原因を発表までするべき。また、少年犯罪の場合も国民の知る権利ではないのか。
報道の自由をカサにしたプライバシーの侵害じゃないのか。
報道機関は、弱者である被害者のプライバシーを犠牲にしても、実名を報道するに値する明確な社会的意義を説明しなければならないし、それが出来ないなら、報道の自由を履き違えた、相変わらずの身勝手で自己に都合の良い解釈による傲慢な振る舞いだ。
あおり運転で大勢に迷惑をかけ続けたような人間が殺された場合なら被害者に責任があったということで、実名や生活について報道されるのは当然だと思います。
しかし、京アニ放火のような、被害者と加害者に接点があると思えない事件まで実名報道する必要性があるとは思えません。
メディアの役割、被害者や家族の権利、一方的に正しいことを決めつけるのではなく、常に考える姿勢が大切でしょう。
被害者側の実名報道は、遺族の意向を第一にすべきだと思います。
加害者は全員、実名・顔などフル公開しべきですが。
被害者の名前が報道されたみたいだけど見なかったな
だってアニメもよく知らないし、名前を見たって誰それ状態だから
知る権利が本当に公益性のもとに行使さるているとは感じづらい。
正直有名監督・脚本家・作画家さん達の安否は知りたい。家への取材の可否は別として。
それ以外のヒラの社員の方々の情報なんて全く興味ないし、知ってどうするのか?
しかしながら一番怖いのは憶測で言われることなんだよな
ネット民だって叩いてるくせに一番は興味があって叩いてるから他人の事は言えないでしょう
実名報道は基本的に憶測を防ぐなんだ
確かに小籔のはわかるがただハルヒなどを監督した方が更新してないから死んだじゃないかなど様々な憶測出て結局は遺族側がと公開して火災による被害で亡くなったと
憶測で言われることが一番怖いから実名報道になるだよ
この事件を忘れない為に、なくなられた方のなくなった姿を公表すれば良いだろ。名前なんか公表しなくても、顔も性別もわからなくなった姿を報道しろよ、きっと事件の怖さが伝わるだろうよ。本気で人に何かを伝える報道さたいなら本気でやれ、生ぬるいんだよ。なにが自由だよ。
この事件だけじゃないけど、加害者は匿名報道、被害者は実名報道。マスコミの皆さんおかしいと思いませんか?
被害者遺族のプライバシーを守る権利より国民の知る権利の方が優先されるんだ?警察もおかしいよね?
嫌がっている被害者の氏名より、もっと報道してほしいことがある。
池袋で二人を殺害した上級国民様が逮捕もされず、今何をしているのかを知りたい。
「皆さんが指摘されたように、実名報道によって得られる社会的な利益と、遺族の方々が受けるプレッシャーのバランスが本当に取れているのかというところが論点だと思う。
この方は本当にわかってない。
大事な家族が理不尽に殺されたてとても辛い思いをしている中メディアやマスゴミのクソみたいなバランス感覚なんて当の本人達には心底どうでも良い話なのだ。
社会的利益があれば理不尽にも大事な家族を殺された人々はプレッシャーを強要されなければならないのか?
人々を楽しませる職に就く為才能を磨き努力した方々のご家族はそんなクソみたいな価値観の的になってはいけないのです!!
遺族第一なのが何よりも優先。
遺族がするなという事をメディアが行うのが問題。
知る権利という言葉はメディアの言い訳以外の何物でも無い。
コンクリート殺人が、いい例
未成年の彼女の名前は永遠にさらされ、加害者は未成年で書かない、笑わせんなよ。
マスゴミと言われて何らおかしくない。
彼女の人権は死後も侵されている。
死んだから人権ないとは違う遺族がどれだけ苦しむのかさえ想像すら出来ないマスゴミ。
よからぬ輩が詐欺まがいの事を考える可能性がある。
希望しない遺族が被害にあったらどうするのか。
報道機関が補償できるのか。
残念ながら人の弱みにつけ込む輩がいるのは事実だ。
遺族も会社も公表して欲しくないと言ってるのに、マスコミが無理矢理警察に公開させるのはどう考えてもおかしい。報道の暴力です。
誰が望んだの?
例えばこの会社のファンの方の場合
どなたが…と気になっている人はいるかもしれない
でも最優先されるべきは、ご遺族の意向でしょう?
ご遺族が公表したくないと言っているのに、なんで晒すの?
本当に日本のマスコミはマスゴミだ
名前を出すってだけで、そこから暴かれるものを想像しないの?
経歴・顔写真・下手したら家の住所までネットに流れる時代なのに
今回実名報道された25人のうち20人が実名報道を拒否したわけでしょう?それが答えじゃないの?それを無視して全員の実名報道に踏み切ったメディアが批判されるのは当然。実名報道しなくたって事件の大きさや悲惨さは伝わるし、何年経っても世界中の京アニファンは事件を忘れない。
上級国民、、、未だ逮捕されず
一番重んじるべき遺族の気持ちは、公表しないでほしいなのに、何の権限があって京都府警やマスコミは公表するのか。あなた達にそんな権限は1ミリも無い。
実名報道するかしないかを誰が判断するんだといったら、遺族の意見が最優先されなければならないと思う。その他の人は、ただ知りたい、知ってみたいという好奇心が強いと思う。
知る権利とか伝える義務とか、報道機関の一方的な判断によって決定されてきたように思う。よく「被害者の人権は?」という論議になるけど、被害者の顔写真バンバン出して、報道の自由・知る権利・伝える義務のみで論議が進むことはいかがなものなんだろう。結論としては上念さんの意見に一票。
殺人事件でも交通事故でも火災でも
被害者の氏名はいつも大々的に公表されているのに
なぜこの事件に限ってこういう議論が起こっているのかしら?
実名報道が必要だと主張するなら、「実名だけ」を報道すればいい。
5W1Hの中に「遺族の今のお気持ち」は含まれてないので、実名を報じれば国民の知る権利には応えられる。間違えた情報の拡散を防止や捜査の進捗チェックは、遺族や関係者のコメントがなくてもできる。
再発防止のための世論喚起や、忘れないという効果は、「事件発生後●日以内でなければできない」というものではない。遺族にインタビューしたいなら、遺族が「話したい」と思える状態になるまで待つべき。直後でなければ忘れられるという主張は、注目してもらえるような番組を作れない報道各社の怠慢だ。
そもそもマスコミは、なんで実名報道に批判が殺到してるか、理解できてるんだろうか。「各自のスタンスで、できる範囲でやってる」と主張するが、やってないから批判されてるんだよね。自分達のスタンスが国民の意識と乖離しているということを、自覚すべきだと思う。