サッカー日本代表DF吉田麻也(30=サウサンプトン)が4日放送のTBS系「消えた天才」(日曜後7・00)に出演。名古屋時代にチームメイトだった幻の天才ドリブラーについて語った。
現在、世界最高峰の一つイングランド・プレミアリーグでプレーするなど名実ともに日本史上最強DFに上りつめた吉田。だがプロ入り前の名古屋ユース時代、敵わなかった天才ドリブラーがいたという。
「印象は一言でいうと“殺し屋”。目つきが鋭かった。(マッチアップして)負けることが多かったし、かなりレベルの差があった」。
その選手の名は新川織部。名古屋ユースで2年生にして背番号「10番」を背負い、07年に吉田らとトップチームに昇格した。
だが当時の名古屋には元日本代表の藤田俊哉、玉田圭司、本田圭佑らが所属しており、出場は3年間でリーグ、カップ戦合わせてわずか4試合。21歳だった09年に戦力外通告を受け、名古屋を退団した。
20代前半でサッカー選手を引退し、現在は内装業の職人として働く新川さん。結婚して子どもも生まれ「今の生活が充実している」と笑顔で語る。引退後はサッカー界に未練を感じていたが、日本代表の試合で“ある光景”を見た瞬間、プロで成功できなかった理由を痛感したという。
それはかつて名古屋でチームメイトだった本田が、当時の司令塔だった8歳年上の中村俊輔に「蹴っていい?俺が行きたい」とキッカーを主張する姿。
現役時代、先輩に意見をぶつけることをしなかた新川さんは「コミュニケーションは技術と同じくらい必要。できなかった自分がダメだった」と納得したという。
吉田はユース時代の新川さんについて「タレント性のあるドリブラー。スピードに乗っている中でもボディコンタクトができる、日本人にはない特徴を持った選手だった」と回想。「うまい選手が絶対に上がれるわけではない。
運も味方する。僕の場合は(名古屋時代に)センターバックが3人ケガをした」と実力のある人間が必ずしも成功するとは限らないプロの世界の厳しさを語っていた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181104-00000178-spnannex-socc
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