“大切なのは『その人を深く理解すること』”
“考え方や見方を変えれば欠点も長所になる”#大前光市#義足のプロダンサー当たり前の言葉に重みを感じるのは
乗り越えてきた苦難や困難があるから40歳になった今も「進化」を続けている
まさに中年の星見習いたい https://t.co/lZxWNcibCN
— c-gin (@dio_diavolon) December 18, 2019
大前さんの「神対応」には頭が下がるが、切断した足に「ブタみたい」と発言した「素直で無邪気な子供」にも「思わず言い放った言葉がいかに人を傷つけるか」をちゃんと教えることが「教育」だと思う。「子ども故の無邪気な残酷さ」をそのままにしてはろくな大人になれん。https://t.co/abOPmykpgS
— موريوكا جويس/ מוריוקה ג’ויס (@Morioka_Joyce) December 18, 2019
3年前のリオ・パラリンピックの閉会式で4連続バック転を決めて世界を驚かせ、その年のNHK紅白歌合戦で歌手・平井堅さんとも共演した「義足のプロダンサー」大前光市さん。舞台や講演の合間を縫って、各地で子ども向けワークショップを開いています。
「なぜか子ども受けが良くて」と語るように、もみくちゃにされながら言葉通り「全身で」接し、子ども故の無邪気な残酷さで“暴言”を投げかけられても一緒に笑う―。そこに込めた思いを聞きました。
先日、神戸市内で開かれたワークショップ。「他の人がしない動きで進もう」と声を掛けると、20人ほどの子どもたちは大喜び。両手指とつま先で進む子、回転やジャンプ、ブリッジに頬杖…。
大前さんはほんの小さな違いも見逃さず、順番や方向を間違ったり「うまく馴染めず」指をくわえ背中でずりばいしたりする子も「こ、これは新しい!」「みんな見て!」と拍手。
さらに、義足を外した脚に右手を置き、腕と体の間の「輪」に頭をくぐらせる…など自らのダンスと同じ表現方法を“伝授”すると、子どもたちは耳や足など体を駆使して格闘していきます。
「ダンスや表現に正解や『やったらダメ』なことってないんです。自分で考えた動きならどんなものでも『認められるんだ』と感じて欲しい」と大前さん。ただ、そう強く思うようになったのは「左足を失ってから」と話します。
大学でクラシックバレエを専攻し、プロダンサーとして歩み始めた24歳のとき、車にはねられ左足の膝から下を切断。義足で復帰を目指しましたが、練習を重ねるほど「昔の自分には戻れない」と突き付けられます。
オーディションでは「今の君は必要ない」と言われ、バレエ教室では「痛々しいからその脚で踊らないで」。職場もクビになり「何の価値もない、這って歩く粗大ゴミだ」と自分をさげすみました。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191218-11002285-maidonans-life
ネットの反応
ショックでもワークショップ途中で止められないでしょう。前向きな思考だから平気とは限らない。
臭いものに蓋の風潮
耳が痛い
子供は許されるが
大人で故意に人が傷つくことを言うのは
許せないですね
さんまの名探偵で紳助が着ていた服だ…
その言葉を悪気なく言ってしまった子どもは、いつかきっと、自身で気づく。
受け流せる場所にまで心を運ぶ事は、私たちには想像も追いつかないくらい大変な事だったと思う。
これが人間の持つ、本当の『強さ』だと思う。
人間本来の力だと思いました。
多くの人が忘れてしまっている事を、この方は自身の身体を通して教えて下さっているのだと思いました。
豚みたい
子どもが素直に思った事を、受け止めてあげるには愛がなくては出来ない事。
きっと、このお子さんもそれを感じたはず。
素敵な方って、ちゃんとこの世界に存在しているのですね。心に『光』が灯っている方だと思いました。
ありがとうって、思いました。
見たままを子供がいったから、悪意のある言葉ではないと思う。
逆に人間て、手足が不自由でもこれだけ出来ると教えてあげなきゃね。
子供は思ったそのままを口にしますよね。
でもその言葉で言われた相手を傷つける事があるのを教えなくてはいけない。
感じ方や表現の自由と言葉の暴力は表裏一体ですよね。
どう感じどう学ぶかを抑制しないのも大切ですが親の立場からするととても難しい問題です。
「ボク、そういうのを悪口って言うんだよ(ニッコリ)」と軽く諭せば良かったのに。
こういう大人が増えると子供達の中に細々としたこうしてはいけないがなくなって逆にイジメもなくなるかもしれない
その子供ちえ おくれか発達なのでは?
暴言ってかくな。悪意のこもっていない純粋な意見でしょうが。
ダンサーは踊り子だから
物を語る職業ではないよ
これは注意するべきなんだよね。
この人がどう感じるかというより、暴言を吐いても良いんだ、と思うような人間が育つ事が問題。
暴言を吐くと相応の罰が下る事を早い段階から判らせないといけない。
きっと、くびれがない、とか、足の甲がないなどということを言いたかったのだろうけど、子どもは自分かわ知ってる少ない語彙の中でしか表現できないことも、大人は知らないといけないと思う。
皆が明日事故で足なくなるとは思ってもみない事が恐ろしい。
ただ可愛そうではなく、例え無くなっても幸せに暮らせる環境を考えたいね。
いつの時代もこういうガキはいる
子供は無邪気で素直…故に…残酷….
失礼なことでも構わず言う子と、もちろん言わない子がいる。子供とはいえ、ある程度の人間性の核(コア)となるものは既に受け継いでいるのです。それは何かというと、育ちと遺伝子なわけで。
子供が見たまま発したことばを「暴言」と決めつけた表題は、「言葉がりをしない 子供の時から親しむことが大切」と考え行動している取材相手の意図に反することであり、記者の方が失礼だと思う
苦しんでいる人に追い打ちかける言葉は暴力だが
わからずに発する言葉は「無作法・無思慮」
無作法:相手の気持ちを考えずに言う←に対しては相手への思いやりを持つように諭すことも必要
無思慮:見たまま思わず発した言葉(時には相手の苦しみを思いやるあまりのことばで相手を傷つけることもある)に対しては・・
大前さんのように 「状態・状況を身近に体験してもらう機会を提供」することにより、知ること⇒親しむこと につなげていくよりほかしょうがない
だからこそ 私は そのような営みをされている方々に敬意を抱きます
ことばとは 人とのつながりの中で多様な意味をもつということを意識して標題を吟味していただきたい
単に「障害を持つ自分自身を受け入れて生きる」だけではなく、飽くまでもダンスを捨てずに新しい踊り方・生き方にたどり着いたのが、本当にすごいと思う。この人は踊りの達人であり、同時に人生の達人です。
子供の言葉を自然に受け止めて見せることが出来たのも、すでにいろいろな意味合いで、大きな自信を持っておられるからですね。
この発言をした子供さんは、自分の発言について叱られても、まだあまりピンと来ていないかも知れません。でもかなり年数を経てから、「あのダンサーは色んな意味で、すごいひとだったんだ!」と理解する日が来るかも。
子供というものは未完成品で、成長するのが仕事ですから、それはそれでいいのではないでしょうか。
なぜ、ヤギでも牛でもなくブタだったんだろうな。
幼い子供がその立場の方だったら
心に大きなキズとして残る言葉です
この人は大人だけど
言ってはいけないことは子供のうちからちゃんと教えなければいけません
親の器量の問題でもあります
人の気持ちなど分かるわけがない。
誰がどんな言葉に傷つくかなんて千差万別。
誰も傷つけず、自分も傷つかないで生きていくなんて不可能。
悪意のない言葉まで狩る必要はない。
ただ傷つけた場合は心から謝るだけ。
謝って許されるかは相手次第なだけ。
父親が 幼い頃に病気で 片足を切断し、義足をつけていて片手も 不自由だった。障がいがあっても 普通の 父親に変わりなかったし 周りにも 障がいがある方がいたので なんの不思議もなかった。見たことがない子供達にとっては、どうしてだろう?と不思議に思うかもしれない。暴言を言ったのではないと思う。
そう、ここでその子供を叩いちゃいけませんね!
そうでなくて、こう言うと相手がどんな思いをしますよ!と教えて育ててあげるのが道徳心の成長につながりますね!
回りの方々か教えてあげましようね。それが心の成長です。
両足義足のアスリート兼モデルの女性が、義足をクリスタルのブーツにして歩いていたのを見て密かに憧れている。とにかく美しくて格好良かった。
ダンスも義足だからこそ出来る表現ってあると思う。
ブタみたいかあ…そう感じてそう口にしたんだろうけど例え雑だな。子供は純粋だから…のわりにはこいつにはセンスがない。だから別に傷つくことないと思うけどな。
教育のなってない豚やで。
そろそろブタさんに謝ってほしい。何かと悪いように使われてるけど、ブタみたいって言って何が悪いのさ。
なんでも重くネガティブにとらえる人いるよね。
そう見えたんかな、でいいだろう。
このダンサーが気にしなくても、気にする義足の人が射るだろう事は容易に想像出来る子供の発言だからと言ってそのままにせず、人の気持ちを考えた発言が出来るように今後は気を付けるように諭すのが大人の本当のあるべき行動だと思う