「仕方ないよな…」。神宮球場のグラウンドへと続く階段を降りながら、自分を納得させるような口調で話し始めた。4月18日の練習前。阪神・能見は、実は失意を隠して戦いの場へと向かっていたのだった。
「闘病していたから。ずっと(体調も)悪かったし…。ある程度、覚悟はしていたんだ。でもなあ…」
覚悟はしながらも、決して信じたくない訃報だった。17日のヤクルト戦は今季初の延長12回引き分け。能見も2番手として登板。疲れが残る体を無理にベッド沈めてから数時間後だった。
闘病生活を送っていた実父の謙次さんが午前3時45分に逝去。68歳の若さだった。夜が明けると球団には他界した事実を伝えた。しかし、すぐに“職場”を離れることはしなかった。
「(今日18日は)帰らないよ。20日に帰ろうと思う」
チームメートには何も語らず18日のヤクルト戦も、翌日も1軍本隊に同行した。19日の巨人戦でも5番手として登板して1回をパーフェクト
。敗れはしたものの、脅威の巨人打線を意地で抑えた。警察官として職務を勤め上げた、実直な人柄だった父のように役目を全う。
そして20日にようやく事実を公表して帰省。通夜、告別式に参列するとすぐに故郷を離れ、22日には中継ぎでは唯一、投手の指名練習に参加していた。
野球を始めたきっかけも父の影響だった。能見が生後4カ月のときに勤務先の神戸から出石町の駐在所に赴任。幼少期は日課は「壁当て」だった。駐在所の横にあった建設会社の窓ガラスを割ったこともあった
。それでも怒られることはなかった。小学3年になると父が指導者として携わっていた地元の野球チーム「小坂プラッキーズ」に入部。39歳となった今でも抜群の制球力は健在だ。その原点こそが幼い頃の日課のたまものだった。
「(不幸が)続くな…。(訃報を聞いたときは)ビックリした。すごくいい方だった」
実は最愛の人を失ってから10日後の4月28日には恩師も旅立っていた。社会人野球の大阪ガスに入社した当時の監督・竹村誠さんが父と同じ病で57歳にして逝去。
鳥取城北時代は「高校左腕三羽ガラス」の一人と評されてプロのスカウトも獲得に乗り出した。しかし、プロではなく社会人の道を進むことを選んだのは、竹村さんの熱意に押されたからだった。
「最後まで面倒は見る。だから(大ガスに)来てくれと。そう実家まで来て頂いたことは今でも覚えている」
平成最後の日には感慨深げな表情を見せた。30日のナイター後には車を飛ばして静かに眠る恩師に別れを告げに行っていた。もう、この世に2人の恩人はいない。大ベテランは感謝の思いと教えを胸に秘め、全力で左腕を振る。(山本 浩之)
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190502-00000117-spnannex-base
ネットの反応
ノウミサンアイシテル
能見は自身の権利も行使せずずっとタイガース一筋でやってくれた大切な投手。
とても辛いとは思いますが、亡くなったお二人は共に元気にマウンドに立つことを望まれてると思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。
能見は本当に生え抜き先発投手として阪神史上に残る先発ピッチャーになったな!!
球界でも稀有なサウスポーのフォークボーラー、マウンドではポーカーフェイスのクレバーなピッチャー。
まるで野球漫画に出てくるライバルキャラかのような貴方が魅力的で応援しています。
どうか、その活躍を見届けさせてください!!
先日の秋山の記事
>>涙で濡れる頬を緩ませるその時まで。秋山は腕を振り続ける。(遠藤 礼)
今回の記事
>>大ベテランは感謝の思いと教えを胸に秘め、全力で左腕を振る。(山本 浩之)
スポニチの記者は振るって言葉好きやな。最後いつも振るやw
こういうのダメだね。親が亡くなった時はすぐに帰らないと。体育会系の美学にしてはダメだ。球団も説得してでも帰らせないと。毎年、聞くよね。
現役も終盤ですが、輝いてください
過去の三振王は 凄かったわ!
美徳のように伝えられているけど、アメリカみたいに返してあげてほしい。
19日の巨人戦、ここで能見?とは敵ながら思ってたけど、やっぱ理由があったんだな。気迫こもってたよ。
恩師を相次いで失うという悲しみはとても耐えがたいだろうな・・・。
それに耐える能見はすごいと思う。
腐るにはまだ早いぞ!
そういう時は
表面には体調不良でという事で
会いに行っていいよ。
能見さんも
それを糧に
また頑張ってくれると思うし。
能見さん抜けた穴を
みんなで乗り切るぐらいの
統制があってもいいし。
社会人だからこそ
行ってあげるべき。
日本の悪しき美学など不要。
竹本監督は大阪ガスで能見さんも近本も指導されてるんですよね。阪神にとってはある意味『恩人』かも。
能見さんはお父様の死に目に会えなかったんですね…僕も単身赴任中で、本当にお世話になった嫁さんのお母さんの死に目には会えませんでした。
大切な人を亡くしても、プロ野球選手としてマウンドに立ち続ける。能見さんすごいなぁ…
ご冥福をお祈りします。
チームが低迷している時を支えてくれた能見、メッセ達には何とか優勝を味わって欲しい。
平成最後の年、おやじさんと恩師はその命が尽きた。能見は選手生命が尽きそうだな。
60年に優勝し日本一になったときも球団代表だったかがシーズン中になくなった。60代と50代の早逝は悲しいが能見はこれからリリーフでもう一花咲かせられるよう、キレとコントロールとなにより恐れを知らない強気を磨いて絶対的な存在になれ。
近本にとっても監督は恩人になるのか。
大阪ガス頑張って
矢野監督であれば、話を理解して
即座に帰れ、と言ってくれたんだろうけどね。
昭和の人なんだなと痛感します。
大阪ガスの竹村前監督は昨年の都市対抗を制覇したチームの下地を作った方。
なかったけど、優しそうな風貌が印象に残っています。
2003年、2004年共に大阪ガスを決勝に
導いて、両試合共に延長戦にもつれる大熱戦を演じながら両試合共に能見が最後に失点し、敗れた事。
能見が駆けつけてくれて、さぞかし嬉しかったんだろうなぁ・・・
お父さんのご冥福をお祈りいたします。
能見さんがいない今の阪神を考えるとぞっとする。
これからも、頼みますよ。
仕事を優先するのを美談とする風潮はなくなってほしい。
人の生き死にはプロ野球やら芸能やらその他何よりも重いものだ。
実のお父さんが亡くなったのに、頑張れなんか簡単に言われへん。
能見かて生身の人間やもん。
その癒しが野球であれば尚良いって話だけで。
人はいつか必ず死ぬもの。
いちいち悲しむ人の意味がわからない。葬式で泣いてる人見ると、死なないと思ってたの?と思う。
我が子が、親の死に目にも会えないほど誰かに必要とされているのはある意味最高の最期かもしれないですね。場合によると思いますが。能見さんの場合はそれですね。
大阪ガスの後輩が野手としてチームを引っ張ってくれている。
能見さんが現役中に、いや、阪神を支えてくれた殆ど生え抜きベテラン(球児、メッセ、鳥谷)が現役中に、優勝して欲しい。
優勝してから、次が長いよ。
この短期間で二人も恩人を亡くすと精神的にくるだろうね。
その方々のためにも好投を見せてほしい。
ご冥福をお祈りします。
能見さんの現役中にもう一度、何とか優勝して報われて欲しいです。
能見投手はチームが低迷している時もずっとタイガースを支え続けてくれている。現役はあと2、3年かも知れんが、コーチ、いずれは監督してずっとタイガースにいて欲しい。
能見には様々な思いが有るだろうが、故人対する恩返しも含めて、能見には今後も頑張って貰いたい。
いつもどんな時もポーカーフェイスの能見さん。真似したいけど無理だなぁ。
チームにとって絶対に欠かせない1人。たくさんの貯金、クライマックス、優勝目指して頑張ってください。