ネットの反応

1
放火殺人の罪で被害者36名ってなるともう死刑の求刑しかないでしょう。亡くなっておられない方も含めたら相当な人数かと。

ただ刑の執行が遅い日本でこの先この人が拘置所で何年間も税金で生きるって事も問題。

判決から14日で控訴しない場合、刑の確定はするんだから少なくても20日ぐらいで執行してほしい

1-1
確かに何年もズルズルも生かすのは問題ですが。
自分には、死後の世界がどうなってるか分かりませんが、すぐに執行するよりも、一年以内執行として、いつ執行されるか分からない怯える日々を過ごさせるのも一つの方法かと思う。死後にも犯罪者が永遠に償いをしなくてはならない、世界がある事を願います。

1-2
すぐにというのも理解はできるけど、すぐに死なせてもらえるという甘い考えを犯罪予備軍に与えてしまう危険もあると思う。
青葉被告も自分がやったことで、無関係の人達が計り知れない苦痛と恐怖を味わいながらなくなっていったことを思い知る仕方で罰を受ける必要がある。
本人がやったことは明白なのだから、税金を多く費やされないでほしいとは思うが、犯罪抑止のためにもしっかりと恐ろしい罰が下るということを示してほしい。
1-3
宅間守が言ってたけど、確定したら時間かけずすぐ執行してくれって。早くラクになりたいから。
いつ執行か分からない状態で何年も待たされるのはキツいってさ。
だから焦らして塩漬けにして、反省するまでずっと恐怖を味わい続けさせるのもあり。
1-4
今回のように間違いなく犯人がこの者であるというときはそれでも構わないのかもしれないけど、死刑判決後に冤罪の可能性がある事件も例があるので、一律には難しいのではないでしょうか…。
もっとも、他の方が書いておられるように刑事訴訟法では6ヶ月以内の執行となっているにも関わらず、税金で生かされ続ける理不尽さが歯がゆい気持ちはとても分かります。
1-5
少し前に取り上げられていましたが、死刑執行人の方はあれをするのは辛いみたいですね、3個のボタンがあって3人がそれを同時に押すとか、あとやっぱり最後は吊るされて数秒は苦しむのが殆どで執行人はその光景などがしばらく夢に出てきたりする程精神を傷めるとか…だったらあれをする人も死刑確定した囚人達が行えば良いのではと思いますね、それ相当の罪を犯したのだから…

1-6
期間はどの程度が妥当かわからないが、間違っても病死、自殺などさせてはいけない。多くの被害者の方は想像しがたい恐怖の中でなくなったことと思う。こいつに同じ思いをさせられないのは残念だが、命を奪われる恐怖を感じながら息絶えてほしい。
1-7
有罪であれば(責任能力が認められるのであれば)極刑以外の求刑はないでしょうし、弁護側も口には出さないでしょうが経験として、おそらく心神喪失による無罪にはならないだろうというのは理解しているかと思います
期限だけ伝えて恐怖心を…他の死刑囚にボタンを…などというのは感情としては理解できますが、国内外の反応等を考えれば、現代法において実際に盛り込まれる事はまずないでしょうね…
1-8
過去の極悪事件を起こした者の執行例を見ても数十年、獄中で生かされていたこともある。遺族の感情を考えた場合、出来るだけ早期の執行が望ましい。それでなくとも今回の場合、被告の身体の状態から見て、獄中でここ数年のうちには死去する可能性があるのだから。
1-9
すぐに執行よりもしばらく拘置しているといろいろと考えることもでき生への執着がわいてきていつ執行されるのか判らない恐怖があると聞く
何年何十年も執行されないのは問題だが、確定後1年以内とか期限決めてやるのはありだと思う
1-10
生きて全てを話し謝罪する。
医療関係の方々はこのためだけに、この人の命を繋ぎとめる懸命な処置をしてくれた。
全てを話して謝罪した所で、亡くなった方々は戻らない。
自分が被害者遺族なら、一回の苦しみより36回、死なない程度に苦しんで欲しいと思うだろう。
2
まだ第一審の地裁での裁判員裁判ですから、どちらかが不満で控訴や上訴をすれば、更に長い裁判になってしまうでしょうね。できることなら、今回の裁判で無期懲役とかではなく極刑の判決を下していただいて、被告側が控訴せずにそのまま確定してほしいと思います。
ともかく、御遺族や生存者、関係者の方々にとって出来るかぎり心身ともに負担の少ない裁判になることを願っています。

3
正常な精神状態と倫理観の人ならそもそもこんな事件起こしていないからね。本人が一定の反省を見せて、自分なりに動機などを話し、極刑を厳粛に受け止めているようだし、落としどころとしてはそれ以上は無理じゃないかなと思っている。本人の刑が執行されたとしても、彼の命を懸命に救った医師の方には大いに敬意を表したい。
3-1
>>を懸命に救った医師の方には大いに敬意を表したい。担当に当たった医師の方の手記を読みましたが
色んな葛藤と戦いながら
青葉被告の命を救ったそうです
あのまま青葉被告が亡くなっていたら
動機も何もかもがすべてが有耶無耶になってしまっていた事を想像すると
医師の方に対して
本当に心から敬意を表したいと思います

3-2
治療にあたった医師は
「凶悪な犯人を生かして良いものか?」
という葛藤はあったものの
「死に得はさせない」
という使命感のもと、治療したとコメントしてた記憶があります。まぁ、全身の95%以上が火傷して、通常は死亡する状態だったのに、色んな治療法をする事で命が助かった訳だから、治療データが集まった事で、世の中の役には僅かに立ってるとは思う。

3-3
アニメーション監督やクリエイターの方々で、現在、活躍されている人でも、かつては、理不尽な思いをしながら、努力をして、今の地位を築いている人は、いると思います。
悔しさをバネにして、這い上がって来るくらいの気持ちでなければ、いけないでしょう。
そして、それが、人生で重要な事であると思います。
気に入らない事で、暴力的な方向に考えて行動してしまう者は、人として何も成さない愚かであると強く思います。
3-4
本当にそう思います。
そういう経緯も本人が重く受けとめて、反省の材料のひとつにして欲しい。
失くされた命はもう戻らず、遺族には悲しみしかないけれど、本当に心の底から悔い、残された時間で精一杯遺族や被害者にお詫びの気持ちを示してほしい。でも心のどこかで、こんな身勝手な事件を起こす人が心の底から反省することなんてあるんだろうかと疑ってしまう自分もいます。
3-5
当然ですよね。
死んで許されるレベルの罪ではないが…
命が助かったことは本当に良かったと思います。
命の不思議と尊さに触れ、懸命に生かされた後の死刑宣告は本人もキツいでしょうね。
宣告後は死の恐怖に怯えながらその日を待つことになりますが、自分の犯した過ちと向き合う時間になると思います。
救命した医師や看護師さん方は、とても意味のあることをしました。
3-6
>1000万とも言われる医療費は税金。
生活保護受給者だったため全額が国や自治体から。医師の方も葛藤があったということですが、こうして裁かれる機会が与えられたのは、被害に合われた方に取って、良かったと思います。
御遺族の方々も、殺された上に容疑者死亡で有耶無耶になってしまったら、なおさらやり切れない思いが募るばかりだったのではないでしょうか。

自分のやったことがどういうことか、しっかり受け止めて刑罰を受けて欲しいです。

亡くなった方々の御冥福をお祈りします。

3-7
永山基準を思えば当然の求刑。
永山の「生きたいと思わせておいて、それはないんじゃないですか?」という一言も重いけど。
でもこの犯人については「あなたは死なせてもらえるんだね。」という感想が浮かぶ。36人の「殺される」と比べれば。
おそらく一人で立てられず、両脇を抱えられてその場に立つか座るかして首に縄を掛けられるのだろう。
何が正解かは分からないけど、亡くなった方々のご冥福を心から祈りたい。
3-8
真摯に裁判を受けて事件と向き合うべき。
医師らの努力には敬意を。1000万とも言われる医療費は税金。
生活保護受給者だったため全額が国や自治体から。

逮捕は回復まで伸ばしていたけど、
逮捕後の治療費は警察の負担。

一人では何も出来ないから拘置所でも世話が必要。
もし懲役刑でも何にも出来ない。

最悪の事件を起こし、被害者も多数。
こいつ一人に振り回された。

まだ、盗作されたと言っている。
極刑判決だったら控訴するのかな。

3-9
妥当な判決でしょうね。
死刑一択しかないと思います。命が助かったことで、動機らしきものや
反省に近い言葉も出ているから
それはよかったなと思います。

妄想と現実が入り混じっていたとはいえ、
本当につまらない理由で尊い命を
奪われた方々が気の毒です。

3-10
ブラックジャック『二度死んだ少年』ですね
父親を殺害して警察に追われ、高いビルから身を投げた少年の手術を最初にBJが依頼されるが彼は断る
助かれば裁判が受けられる、人助けだという病院に「そいつは殺人犯だそうだな」「自殺したいんだからさせてやればいいだろう」
その後、世界的権威の別の医者が手術に臨むが脳波が止まってしまう
金の亡者とBJを軽蔑していた医者は、自分の名誉のために恥を忍んでBJに内密で協力を頼み、少年は生き返って裁判を受ける
改めて死刑が宣告され少年が泣きわめく
突然BJが傍聴席から怒鳴る
「死刑にするため助けたんじゃない!! どうしてわざわざ二回も殺すんだっ なぜあのまま死なせてやらなかった!?」
好きな話だけど、漫画はあくまで風刺でありエンターテインメント
勝手な妄想のもと多くの罪なき人々を殺害した犯人を救わねばならないお医者さんの現実の葛藤は、計り知れないと思います
4
治療したのはなんのため、という意見も散見しますね。
加害者が生きていることで裁判ができます。
加害者がどれだけ反省しているか、話してくれるか、は一旦置いておいて、背景を掴むことも可能になります。
加害者も死んで被害者のご家族がやるせない気分になっている実情はあります。
大きな意味はあるんじゃないかなと私は思いました。
4-1
治療中、排泄や食事面も含めて、人生で初めてに近く、人に親切にしてもらったという被告。むせては苦しみ、激しい痒みや痛みに耐え、コーラを美味しいと言い、看護師達の声がけに安らぎ、本能的に生きようとしたはず。

どう見ても即刻死刑に値する犯罪者の、その首根っこを捕まえて裁判に突き出すためだけに、最先端医療と知識を駆使し続けた担当医には、人として医師としての使命感を全うしてるようで敬服した。

刑務官の足跡に毎日怯え、いよいよ刑が執行される時、医師達への感謝や詫びの言葉を残そうが残すまいが、生への未練と、有無を言わさず命を奪われる凄まじい恐ろしさを思い知って欲しい。

4-2
合理的に考えたら治療によって得られるものはないとは思うけど、死から一度救うことによって「死とは痛くて苦しくて怖くて辛いもの。それを36名もの方達に理不尽に味合わせた自分の罪を存分に思い知らせる」という意味では充分にあると思う。
言い方は悪いが少しは被害者遺族の気も晴れようし。
4-3
同感です、死なれてしまっては
遺族の方々がいったい何が起きたのかという
状況を知ることができない。
わかった事は被害者の方には一切非がなかったという状況です。
本人はいまだに罪の重さを理解されてはいないとは思いますが
自分が受けた治療により生きる事の尊さを知った事により、極刑という己の判決に苦悩する日々がより深く刻まれていくんじゃないでしょうか。
4-4
意味あると思います。
被害者家族があの場で被告人に対して自らの感情を言う場ですし、どうしてこんなことをしたのか、そして再発防止に繋げるためにも非常に意義があるでしょう。
被告人の口から直接語ってもらうのはそれだけ意味があると思います。
どういう人が、どんな考え方の人がこんなことをするのか。再発防止のためにも必要だと思います。
4-5
やはり治療して、しっかり裁判で裁きを受けさせる事が最大の主旨だと思う。死んでしまっては、被告の心情を聞く事すらできなくなる…これだけは避けたところでしょう。言わされたかどうかはわかりませんが、謝罪の言葉を遺族は聞けた。これだけでも救いなのかもしれない。だが、事が事なだけに多人数を放火で殺めた事実は変わらないので、この求刑は妥当だと思います。判決がどうなるか ここで結審するかは注視したいです。
4-6
治療は求刑とは全く関係ありません。
と言うより刑をきちんと執行できるように治療をしたわけですから。亡くなった方々のご遺族の方々も少しは気が晴れたのではないでしょうか。
確かにそれでも亡くなった大事な人たちは帰って来ませんけどね、

ご冥福を深くお祈りします。

4-7
ブラックジャックの話は名作だと思うけど、今回のケースとはちょっと違うような気がする。
今回のケースでは、遺族に対して謝罪や反省の気持ちを示す必要はあったし、青葉自身もアクシデントで死ぬのではなく、きちんと人の優しさに触れて命の重さを実感し、自分の行動を悔いて納得した上で刑を受け入れる方が収まりが良い。
4-8
大阪のクリニックで放火殺人を犯した犯人は亡くなってしまった。
事件の背景も少なからずわかってはいても、やはり本人の口から真実を聞き出し罪を償わすためにも生きて裁判にかける必要もあったし、なにより遺族の、持っていきようのない想いをほんのわずかでも救うためにもやはり加害者を生かしておくのは必要なんだと……….心情的には、こんな鬼畜を高度な医療技術で生かしておくのも腹立たしいことこの上ないし、関わった医療スタッフもものすごく葛藤もあったかと思いますが、こうやってきちんと裁きを受けた上での死刑なら、物凄く意味のある事なんだと思う。

4-9
放火現場でやりたい事やってやったぞと達成感をもって死なれてはたまらない、事後痛みと共に冷静にとんでもない事をやったと自覚してから刑に服して欲しい。(最終的に死刑になるかどうかは別だけど)被害者の家族も恨み言の一つも言いたいだろう、治療には意味はある。
4-10
背景や原因って、言うほど新たに判明したすごい事実ってなかったような。
自分には普通に裁かれる「逆恨み」と責任能力のない「妄想」の境目が非常に曖昧だと感じる。それに似たような境遇でもこうならない人との違いは遺伝的や固有の性質や性格によるところがけっこう大きいのではないだろうか、とも思う。
5
加害者側が○○だったとかの事情はもう置いておいて、故意の犯罪の場合は被害の結果から判決を下す方向になっていった方が良いと思う。
日本は正直者が馬鹿をみるような感じが多くておかしすぎる。
もちろん故意ではない場合(例えば危険運転ではない普通の運転中の過失事故とか)は、結果も踏まえつつ十分な議論は必要とは思います。