ネットの反応

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何を言ってるの?
当たり前に明日も明後日も平穏な日々が訪れるはずだった人たちの命を突然奪っておいて、自分は刑がいつ執行されるか怖い?その生き地獄のような日々こそがご遺族にとってかろうじて救いとなるでしょう。帰ってこない命の代償として決して楽に死なせてはいけない。

1-1
精神をむしばむ人も少なくない。精神的な拷問を耐え忍んだあげく、死という救いしかない。明日はわが身という危機感で、とても平常心は保てない。
だから?何の罪もない人達の命を
簡単に奪っておいて、
それがどうしたの?としか思わない。
1-2
死人にくちなし、とはこの事ですね。
犯罪で死んでいった被害者はどんなに悔しくても我々には届きませんよね。その悔しさ、無念さを察したくても我々にはどうしようもないし、どうすることも出来ない。

せめて生きている者達が彼らの代わりになって犯人を罰してやらねば、死に損、殺し得、の世の中になってしまいますね。

1-3
いつまで経っても死刑執行命令書にハンコを押さない法務大臣、命令が下りても実際に刑を執行しない法務省。彼らの職務怠慢により死刑囚が無駄に苦しんでいるし税金も無駄に費やされている。刑が確定したら法務大臣は速やかに執行命令を下すべきだし、遅くともその1ヶ月以内には実際に執行されるべきだと思う。
1-4
味がしない朝食でもいきるためには、しっかり3食ですか。緊張するのは、死刑が怖いからですよね。長生きしたいということでなく、犯罪に向き合い、早く執行を心待ちにすれば、苦しみから救われるのでは?遺族に謝罪文は受け取られなくても、法務大臣へ執行早期希望文は受け取ってもらえるかもしれません。まず、自分の犯した罪に向き合い、刑を受け入れるのはダメですか?
1-5
死刑になるということは、かなりの罪を犯したということ。
その日がいつ来るか分からない毎日を過ごすのも、罰なんだと思う。
怖がるのは自分可愛さから。
それよりも、被害者に対して贖罪の気持ちを持って、執行の日まで過ごすべきだと思う。
1-6
死刑は早く執行すべきという意見ももちろんだし、同意します。一方でいつ執行されるか分からない中、長期にわたって社会から隔離されるのも拷問に近い刑罰だろう。もちろん、全くもって救えないし、ある日突然命を奪われた被害者のことを考えれば、軽すぎるとさえ思う。しかしながら、このような環境に自分がと思うと恐ろしい。真っ当に生き、日常を感じられることに日々感謝したい。
1-7
被害者やその家族のことを考えると、人を殺めておいて何を言っているんだというのが感想です。殺された人は、朝食を食べることすらできないのです。加害者の心情を読み取ることも必要かもしれないが、あまり寄り添いすぎるのは、被害者としては納得できるものではないと思う
1-8
欧米の死刑廃止論の根源にある思想哲学は、神が作った人間の命を神ではない国家が奪うことができない、それを行うことに対する畏怖というのがあると思う。その考え方は、日本人の精神構造にあまりなじみがないので、欧米の死刑廃止論をそのまま聞かされても多くの日本人には響かないように思います。私は決して死刑が善とは思いませんが、刑罰の制度としてはあって然るべきと考えています。
1-9
>いつまで経っても死刑執行命令書にハンコを押さない法務大臣、命令が下りても実際に刑を執行しない法務省。彼らの職務怠慢により死刑囚が無駄に苦しんでいるし税金も無駄に費やされている。違う視点から見れば、その「無駄な苦しみ」こそが「刑罰」の一部になっている。記事にあるようにね。
執行すれば、その時点で「罪を償った事」になって、死刑囚は解放されるわけだ。
死に向かう過程の恐怖心こそ本当の意味での刑罰になるという考え方もある。

1-10
執行までの期間が長くいつ執行されるかわからない恐怖感こそが死刑囚に与えられた精神的試練でこれを受ける使命がある。だから死刑が死刑たる所以です。これが問題になるなら法律に則って粛々と半年以内に執行するしかない。冤罪の問題は別として。ただし世の中には理不尽なことも多く120%はないのが実情。
2
被害者の苦痛や、被害者家族、友人などたくさんの人の悲しみに比べたら軽いものじゃないかと思ってしまう私は冷酷な人間かもしれない…。もしも自分の家族や友人が被害者だったら…味を感じないどころか、きっとごはんも喉を通らないでしょう。これから先の人生に楽しみを見出せず、悲しみに暮れる日々が来ると思います。きっとまだまだ長いであろう人生、こんなに苦しいのならいっそのこと家族の元に…と考える日もあるでしょう。

大切な人の命を奪っておいて、仕事もせず、寝る場所もあり、毎日食事が出来る環境で過ごせているだけで良いじゃない。何を言ってるのか。と思ってしまう…ごめんなさい。

2-1
謝る必要は無いと思います。
2-2
死刑囚の心情なんて知るかの一言
3
冤罪の可能性が否定できない。袴田事件や痴漢冤罪など驚くほどずさんな捜査の実例がある事を考えると、死刑制度にとてもじゃないが賛成できない。
無期懲役と死刑とにあまりにも差がありすぎる事も問題だ。
どんなに減刑されても一生刑務所から出られない量刑があっても良いと思う。米国のように寿命を遥かに超える量刑の可能性も一つの方法だ。
刑務所の中の待遇に差をつけるのも良いかもしれない。社会更生を想定しない待遇もあって良いと思う。
3-1
>>ちょうど良い保守
>>冤罪の可能性が否定できない。袴田事件や痴漢冤罪など驚くほどずさんな捜査の実例がある事を考えると、死刑制度にとてもじゃないが賛成できない。現行犯など、冤罪の可能性がない事件もあります。

>>無期懲役と死刑とにあまりにも差がありすぎる事も問題だ。

無期懲役の仮釈放判断は非常に厳しくなっており、事実上の終身刑となる場合も少なくないので、あなたの懸念は解決です。

3-2
AIがピックアップしているからコメント書かせてもらいますが、本記事のどこをどう読めば冤罪の可能性が否定できないのか…
3-3
偽善者ですか?
袴田事件は最後まで犯人ではないと否定していた
この人とは違う
3-4
自分も同じ立場になった時に同じように言えますか?
4
死刑囚に命を奪われた方の恐怖はそれ以上であっただろうし、御遺族様の苦しみもまた、一生続くと思う。それに比べれば、生やさしい生活だとも思えるけれど、でも、このように日々怯えて暮らす死刑囚のリアルな声がきけることには意義があった。これで毎日のんびり暮らしていたら意味がない。気が狂うほど怯え、自分の死に向き合い続けて初めて、命奪われた被害者の命の重さに気づいて後悔できるなら、死刑は存続させるべき刑罰だと思う。
4-1
死刑囚に焦点を当てればそりゃ殺された人たち同様に死への恐怖なり人間の尊厳なりあって当然であってだな。だからってそのような人の人情につけ込む死刑廃止論はどうかと思う
そもそも死刑制度のない国はわりとその場でバンバン射殺したりするし文字通りの恩赦なし終身刑はあるし戦争でも厭わず平気で殺すし日本の現状で廃止しすると極悪事件は完全にやったもん勝ちになってしまう
死を持って償って頂きましょう、は制度として残って然るべきかと
4-2
他人の命を奪う事には無頓着だが、自分の命が奪われる事には恐怖するのですね。
いとも簡単に罪の無い人の命を奪い、被害者のみならずその家族や親族の人生まで奪ってしまった代償が大きいのは仕方のない事です。
こういう境遇に置かれないと、命の尊さや、一度失われた命は
二度と帰ってこないという事に気が付かないのですね。
4-3
死刑関係の書物を何冊か読んだ限り、死刑囚誰しもがこういう恐怖心を抱くらしい。死刑囚は他人の痛みに想像力がなく、また自分のメンタルコントロールできないことに大きな原因があり、それが多くの遺族や多くの人々に迷惑を与える。

小学生の頃から不条理への耐性や罪を犯した時の結果への想像力を鍛える倫理授業を、バーチャルリアリティなどを活用してやっていくように教育を改善していくべきだと思う。

4-4
犯罪を犯したなら仕方ない、殺された人も恐怖でしか無かっただろうし、でも犯罪も今はDNA、や科学捜査等で冤罪も少なくなってるとは思うけど、ひと昔までは冤罪は有りましたし、私も冤罪で一度は警察にお世話になりました、何度も自分では無いと申し立てても無理でしたね、犯人は双子の弟でしたからね、最悪です、今でも悔やんでも悔やみきれないですね、あの時もう少し強くいえばと思いましたが、私みたいな方の冤罪の死刑は厳しいと思いますけどね
4-5
死刑制度には賛成だけど感情的な意見には違和感を感じる。
損得や感情で人を殺した死刑囚を、感情や損得(金銭的な意味ではなく心情的な意味でも)で殺せばそれはその死刑囚のやったことと同じ。
粛々と法に則って機械的に扱われるべき。
同じ人を殺すのでも人殺しと死刑は違わないといけない。メシ食う話なんかどうでもいい、規定どおり執行してくれればいい。
4-6
見出しを見ると、いつ死刑になるかわからないことが可哀想って趣旨の記事なのかね?だとしたらルール作って死刑判決から1ヵ月後に執行とかにしますか?
でもそれをしようとすると絶対批判しますよね、マスコミさんは

そもそもすぐに死刑執行されなかったから反省する機会もあったんじゃないんですかね?

問題視するならこうしたほうがいいって解決策も提示すべきでは?

4-7
死刑執行を言いわたされるのは当日とはいえ裁判で死刑確定した時点から死へ向かう心の準備は持てますからね。家族に手紙を残すこともできるのでしょう?
殺害された人は明日がないことも殺される瞬間まで分からず、家族や大切な人にお別れすら言えないんですから。
4-8
何年もかかってやっと死刑執行が決まったのに、そこから10年以上も生きているのは果たして死刑と言えるのでしょうか。
制度改革は、被害者遺族の方が僅かでも朝を迎えた気持ちになれる方向で行ってほしいです。
4-9
安らぎなど微塵も無い、その毎日繰り返される尋常でない恐怖こそが
犯した罪への贖罪の一部となる。その恐怖や自由の無い境遇が、己が犯した許されざる罪への因果応報
だと認め受け入れた時こそ、本当の意味で自らの罪に向かい合えたと言えるのかもしれない。だとしても決して許されはしないが。

4-10
日本の社会らしい法律だと思いますね
ハッキリと表現せずに、時間を掛けて理解するというか
自ら命を絶たないようにとか、精神的な不安定とか
ただ、しっかりと立ち向かう事に避けて来ている気がします
今の社会で、執行日が知らされていないというのは
?それで、本当に犯した罪を償わせようと出来るのだろうか?
って思ってしまう
宿題も課題も、子供に教えるのは期限を守る
社会人としての大切さだと思う
それは、子供であろうと大人であろう関係ない
こちらも相対さないといけないのでは
そして…遺族にとっても、かなり辛いと思う
5
冤罪でない限り2人以上の人を殺害した人が基本的に死刑になるわけで、
毎日のように恐怖に怯えてるから可哀そうだとは思いません。
でも死刑という刑罰は死刑囚だけでなく、執行する執行官への負担が重たい刑罰という事は考えた方が良い。
3人で同時に執行のボタンを押し、誰がボタンを押したか分からないらしいが、
それでもかなりの負担。それも毎日顔を合わせる囚人を殺す事を仕事にする人達の苦労は相当なもの。
5-1
執行官の負担は大きいけど、死刑確定したら1年以内に執行するべき!
何を法務大臣は躊躇しているんだ
10年も国の金を使って食事与える必要なし
5-2
ほんとそれ、いまは昭和ではないんだからいかようにもやりようがある
精神的負担はとんでもないよ