ラジオが流れる小さな喫茶店に女性が現れた。他の客と席が離れていることが分かり、ほっとした表情を浮かべる。「私が話したとは誰にも言わないで」。絶対匿名が取材の条件。しわで分かるから、と手の撮影も断られた。女性は70代。幼いころから耳が聞こえず、発語もできない。人生の多くは優生保護法(1948~96年)があった時代と重なる。「(当時は)子供を作るろうあ夫婦は少なかった」とペンを走らせた後、40年間胸に押し込めてきた思いを、手話で語り始めた。
本当は産みたい。でも従うしかなかった
小中高とろう学校で学び、卒業後に今の夫と出会った。夫もろう者。交際中、彼の母親から「早く早く」と促されて結婚した。夫は工場で働き、自身は和裁の内職や清掃の仕事で家計を支えた。79年、つわりに気づいた。当時30代。子どもをつくると夫婦で決めていたのに、同居していた義母は「お父さんが怒る」と顔をしかめた。義父は義母の再婚相手。夫と血縁関係はない。義父は「ろうの子どもが生まれ、(夫の弟が)結婚できなくなったらどうするんだ」と詰め寄った。義母も迫った。
「産むのならば出て行きなさい。さあ、どうするの」。女性は、耳が聞こえなくても不幸だと感じたことはないのに、呼び戻された実家では母親まで「不幸な子どもが生まれたらかわいそう。堕(お)ろしなさい」と畳みかけた。
ろう学校で聴者の言うことに従うようにたたき込まれていた。「やっぱり聞こえる人が優先。子どもをつくるなと言われたら、それは従うしかない。はい、と言うしかない」
本当は産みたい。食べ物も喉を通らない。相談相手のいない孤独、苦悩、絶望…。1週間後、屋外をさまよっていると、小さな産婦人科が目にとまり、吸い込まれるように戸を開けた。
「堕ろしたいです」
筆談で伝えた。理由を尋ねる医師に「私も主人も聞こえません。親が反対と言って譲りません。私はもうこれ以上、苦しみたくありません」と説明した。医師はうなずき、その日のうちに手術は行われた。帰宅後、義母に「手術をしたよ」と告げ、2階で体を休めた。夜、仕事から戻った夫は「なんで堕ろしたんだ。僕に相談してほしかった」と激怒した。
中絶を選んだのは夫への心遣いだった。障害があるが故に義父に疎外されて育った夫がふびんで、これ以上つらい思いをさせたくなかったのに、かえって夫を怒らせてしまった。赤ちゃんに申し訳なく、夫妻はもう子どもをつくらないと約束した。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190305-00010000-kyt-soci
ネットの反応
身内(子供)が同じ症状なのに、子供が出来たと聞くと”豹変” だろな?
一般には極普通の事でも聴覚障害が有るばかりに普通に子供を授かる事も嫌がられて堕胎を半強制とか、
親の身勝手と世間体の冷たさが後押しか?
今の御時世では犯罪だけど!
昔は何でも有りだった。
こんな民族はいっそ全国民避妊措置をして根絶やしにしてしまったほうが世界のためかもね
>実家では母親まで「不幸な子どもが生まれたらかわいそう。堕(お)ろしなさい」と畳みかけた。
↑のように言われたろうの本人は自分の存在を否定されたのと同じだよ。
ダウン症の出生前診断でも同じことを当たり前のように主張する浅はかな人間がいる。いまだに優生保護法の世界で生きている人間が多すぎる。
「産みたい」
その尊い願いの前では、反対する家族や医師、周りの人がきっと悪魔に見えるでしょう。それは現代も変わりません。
でも、本当の悪魔は「無関心」です。曲がりなりにもあなたの将来を考えてくれた周囲の人ではありません。本当の悪魔は、あなたが妊娠しようが出産しようがどうでも良い、と考える人達のはずです。その人達は白い目では見ても、一円だって助けてはくれません。
行き場のない怒りを身近にぶつけてしまう気持ちはとても良く分かります。けれど、まずは自分が生きられた事を感謝する事も大切なのではないでしょうか。
優生保護法ってひどい法律だったんですね。
自宅の近くの河川敷に、なぜか道祖神のような野晒しのお墓があり、昔、祖母にそのお墓の由来を聞いたら「悪い病気で家族とは別に埋葬された人のお墓だよ」と言われた。後で聞いたらハンセン病だったと知った。
こんなことを決めた連中・親族・子孫は断種されなければおかしい。
私の夫は聾唖者夫婦から生まれましたが健常者です。
聾唖者の義両親はまさにこの世代、生きてれば70代後半です。
一歩間違えれば、私の夫は生まれてなかったのかもしれませんね。
義両親はただ耳が聞こえないだけ。
知能もしっかりしてます。
でも耳が聞こえないから、発語する言葉が覚えられず話せませんでした。
今の世代ならパソコンやスマホを使ってキーボードでコミュニケーションが取れやすかったと思います。
他の人となんら変わりません。
ただ聞こえないだけです。
なのに邪魔者扱い。
ひどくないですか?
私の夫はそんな聾唖者夫婦の元に生まれ育てられましたが、きちんとまっとうな社会人として生活しています。
また、知り合いの、聾唖者のお父さんをもつ方も、国公立大学を出られ今は家庭を持っておられます。
ただ耳が聞こえないだけ。
お気の毒だと思いますが
パヨクとは関わらないほうがいいです
政治利用されるだけです
アイヌの人たちみたいに
障害があるから子育てのハードルは相当に高い事は想像に難く無い。
けれど、子を授かり育てたいというのは本来生きる者の本能だから、最終的な決断は、いつの時代も夫婦二人であって欲しい。
ただ、周りに理解が得られ無かった場合、周りのサポート無しでも夫婦で手を取り合って、何があろうとも乗り越えて行くという強い意志は、健常者以上に必要になってくるのかな、と思う。
やっぱり育てられなかったと、途中で投げ出す事は出来ないのは、健常者も障害者も同じだから。
障碍にかかわらず産む権利というのが声高に発言されるような昨今ですが、産んだ後の育てるのは誰?生まれた子の人生は?という所の議論が昔から全然されていない気がします。
もちろんケースバイケースで、親兄弟姉妹が手厚くサポートしてくれるから、裕福だから、など恵まれた環境の方もいるでしょう。
私が見かけたり知り合ったりするサンプル数など知れていますが、そういう両親のもとで育って、お世話係や通訳になり家を出られない、これが自分の人生だと諦めている若い人や中高年の人と話すと切なくなります。
子供をもうけることは、愛情の証でも結婚したトロフィーでもありません。一人の人間の人生を世に送り出すにあたって、最初から親が背負いきれない障壁をどうするか、これは健常でも障碍でも関係なく、考えて議論し、それでも…となったら産み慈しんで育てて欲しいです。
ひどいな。
同じ人間なのに。
どうして人は優劣をつけたがるんだろう。
障害を個性だなんて言う気はないけれど、
生きていく権利も自由もあるはずなのに。
悲しい話やな…
こんなにも、理解あるコメントがある。
どうか本人に、高齢は分かりますが、スマホ持ってないならば、全てのコメントを包み隠さず伝えてあげてください。
このご時世に、いい時代と一瞬でも感じられました。
医療や法律・世間の理解などが当時と今は違うからこそ、こういった類の話を聞くとものすごく心が痛い。
「仕方がない」という言葉で済むはずでもないし失礼だけれど、当時の状況や常識から考えたらその決断が「仕方なかった」のかもしれない。
昔とは違い制度や理解が変わったとはいえ、本人は年経ってもやりきれない気持ちでしょう。
自分で自分のしたいことを選べない、周りからの理解が得られないというのは辛いと思う。
不自由と嘆いてる自由がそこにあるという歌詞を知っているが、嘆くことさえ許されないほど不自由だったのだろう。
誰かに強制された、選ばざるをえなかった、というのは、結果の幸不幸に関わらず根深い恨みになる。自分への、周囲への、深い恨みに。
かわいそうな話。
ただし、これは国ではなく、いい加減なことを言った義父の責任だ。
この人に限らずだけど、弱い立場の人ってわけもわからないうちにとんでもないことをやらされてるってのが多いよなあ。
医者と患者の関係がそのいい例で、患者が弱い立場になりがちだから訳のわからないうちにあっちこっち切られてたり抜かれたりってのが未だにあるし。
特に歯医者は一般の医者と違い、まだまだインフォームドコンセントの意識が低いのだらけだからこの傾向が強い。
「産みたい」。その己の我だけで障害を引き継いで生まれてきた子はどうすればいい?
その子供が大きくなったとき、一体何て言うつもり?
そんなことを打ち明けられた子供は一体何を思うだろうね?
中絶の強要よりも、かなりの確率で障害児が生まれると分かっていながら子を産む方が明らかに人道に対する極めて重大な罪だと思う。
「昔は○○だった、だから○○だ」を言った後は、
教訓として今、未来 前向きに生きて行ってほしい。
スタートはみんな同じじゃないから、
だからと言って人を当てにする気持ちが勝っていては
何も変わらない。
藤田孝典って評判の悪いオッサンか。
日本人の話おっさんの去勢は大賛成。
聾の両親の元で育ちました。祖父母も聾、いとこにも聾者が数人います。私は高度難聴、妹は、健聴者。父は、木材会社で 山の現場で働き。母は、新聞配達、パン工場で働きました。不便なことは、多々ありましたが、不幸と思ったことは、ありません。
以下若干なりとも不謹慎な話と言われても仕方がないがどうしても言いたい。
こういう産みたくても産めなかった方達が居る。
今も哀しんでいる子供達が居る。
少しでも、ほんの僅かでも良い。
親になって欲しい。
近所の頑固爺になって欲しい。
小さな胸を痛めて悲しむ子達が一人でも減って欲しい。親の手で生命を絶たれる子供が一人でも多く救われて欲しい。
子育ては大変だろう。
うるさい人間と思われたくはないだろう。
自分の、近所の、子供を見捨てる事、それは人としての自分自身を見捨てる事だと気付いて欲しい。
恨み言を言うのは勝手だけど
当時の判断が誤りだとは思えない
今でも障害のある人は周囲に多大な負担をかけるし
生まれてくる子供も障害のある可能性が高かったりすれば仕方ないでしょう
そして産まれたとして
障害のある2人が何不自由なく育てるのは無理だっただろう
障害者の子供などいらんだろ
誰が面倒を見るんだ?税金だぞ?
言えなかったから辛かったのでしょうね。お金や謝罪で解決したいという人もいるかもしれませんが、その根本にあるのは聞いてほしい、知ってほしいという気持ちなのかなと思いました。
匿名ですし、自分が面と向かって聞くことはできませんが、お話しされて少しでも前向きになれるのならメディアを通して私もそういうことがあったことを知っておきたいです。
再婚あいての顔色うかがう コバンザメタイプの義理母だったのが不運やった。
義理のおとんも 義理弟が結婚できなかったらどうするとか
この女性へひどいことへいきで いっとるし#
そんなん知るか!#っていってもよかったと思う。
夫へそうだん するべきやった!!
実家の母がうむをいわさぬ強引なタイプぢゃなくもうちょっと気持ちを汲める人柄やったらもうちょっと心を救われただろナァ~
でもどりしたら、向こうのろうの息子は再婚できまい。
ろうの義理兄がいても結婚はできにくそうやけどぉー
それとも女性の実家へころがり込むだろうか?
=ろう男性じっかは万々歳??
自分で自分の面倒見れない人間が、一人の人間を生んで、その人生を預かるっていう事はそもそもエゴです。
障がい者本人への社会の理解とサポートは当然必要です。
だけど、健常者以上に社会の恩恵に預かっている人間が、自分の権利のみを主張するのは違う。
権利を主張するのと我を通すのを混同してる人がいる。
そういう人たちが子を持つというのはエゴだ。ハナっから他人をアテにしている。
子を持つということは、一人の人間の人生において大事な時期を預かるということ。
他人の手を借りないと生きていけない人が、一人の人間の人生を預かるのは余りにリスクが大きい。
今の時代、健常者ですら、子供を全うに育てていくのは大変なのに。
「障害者は責任もって育てられないだろ!」
「低所得は責任もって育てられないだろ!」
「未熟な若者は責任もって育てられないだろ!」
で、責任感あふれる大人が増え子供が減った日本国であった。
辛さは計り知れないことでしょう。
一方で産むことに対する周りの親族の心配も分かります。
たくさんのテストケースをお互いあらかじめ体験、伝聞しておくべきです。