授業時間にパッと手をあげる女子生徒の写真がある。大田市(テジョンシ)教育庁が9月初めにフェイスブックに載せた写真だ。
「質問をたくさんしよう」というキャンペーンだろうか。驚くことに「学校暴力予防法」のイメージだ。
写真の説明は「過度に自分の思い通りにしたり偉そうにしたりしないこと」だ。要するに「出しゃばれば叩かれる」ということではないのか。
「校内暴力を被害者の責任にするのか」という非難が激しくなると、大田市教育庁は掲示物を削除して謝罪文を載せた。それでも、手をあげて質問、
または発言要請することを「暴力を呼ぶ偉そうな態度」とみる発想と、こうした発想を教育庁がしたということが依然として衝撃的だ。
最近はノーベル賞発表シーズンであり「韓国ではなぜノーベル科学賞受賞者が出ないのか」という議論が活発になる時期でもある。もちろんノーベル賞受賞者の数だけが学問研究レベルの尺度ではないという指摘も正しい。
しかし「ノーベル科学賞ゼロ」と共にいつも指摘されてきた韓国の教育は看過できない問題だ。注入式で正解を強要し、質問を奨励しない静かな教室が、どれほど創意性と多様性を踏みにじるかという問題のことだ。
その始まりが入試中心の教育のためなのか、さらに遡って朝鮮時代の斯文乱賊(儒教において教理を乱し、思想に背く言動をする者)迫害と「出る杭は打たれる」画一集団主義のためかは分からないが、
質問をして自分の意見を述べる生徒が「偉そうなヤツ」になる韓国文化の悲劇を私は幅広い世代から聞いてきた。50代の随筆家キム・サンドク氏は高校時代、
教師に「Wは形がダブルブイなのになぜダブルユーと読むのですか」と疑問を抱いて質問したところ、怒った(一体なぜ?)教師から顔を殴られたという。
記者のある後輩は外国で暮らし、高校生の時に韓国に来たが、塾で「試験の点数によって体罰を加える」という言葉に手をあげて異議を唱えたところ、
周囲の生徒から「出しゃばりなおかしなヤツ」にされたという。「私は友人が『賛成』と言って一緒に立ち上がると思っていたのに」。もう30代になったその後輩は英国に渡り、ニューメディアの広報で有名企業がうらやましがる人材になっている。
下の世代は良くなっているのだろうか。現在20代の記者の後輩は中学生時代の最悪の悪口が「出しゃばり」だったという。このような文化で創意性が優れた人材どころか、
自ら思考して社会の不条理に疑問を抱いて沈黙しない自由民主社会市民になれるだろうか。教育庁までが校内暴力予防だといって「出しゃばるな」という国で。
ムン・ソヨン/コリア中央デイリー文化部長
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181006-00000008-cnippou-kr
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