■家族 最期まで揺れた心
昨年9月に県内の消防署救急隊が蘇生処置を中止し、望み通り在宅での最期を迎えた男性患者の家族が北日本新聞の取材に応じ、当時の状況を語った。いったん着手された蘇生処置に抱いた戸惑い、救命を任務とする隊員への思い…。
現場は関係者の苦悩が交錯した。あれから約1年。みとった家族は今も信じている。「お父さんは喜んで逝ってくれた」(編集委員・宮田求)
患者は末期がんの80代男性。昨年5月ごろから容体が悪化し、入退院を繰り返した。入院中は「うちへ帰りたい」と何度も口にした。
その思いは家族や医療スタッフに受け入れられ、7月下旬に退院。医療用麻薬でがんの痛みを抑えつつ、在宅生活を送った。
「死ぬまで、うちにおる」。死を覚悟したような言い方を耳にした家族らは「このまま(穏やかに)最期を迎えたいということやな」と受け止め、訪問看護師らと擦り合わせた上で、自宅でみとることを決めた。
容体が急変したときは蘇生処置を避けるため、119番せず、訪問看護ステーションに連絡することにしていた。
最期の時を迎えたのは9月初旬だった。その日の夕方、苦しそうに呼吸する様子に、妻と長女らの心は揺れた。直前に妻と言葉を交わし元気そうに見えていたこともあり、
「病院へ連れて行けば、持ち直すのではないか」との思いもあった。訪問看護師に連絡を取りつつも、119番した。
ところが、救急隊員らが到着した時には心肺停止状態に陥っていた。蘇生処置を始めるため、隊員らが胸をはだけると、かつて心臓病の手術を受けた時の傷跡が長女らの目に映った。
その上から心臓マッサージをする様子が痛々しく、「そんなに強く押さえないで」「やめて」と頼んだという。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190808-00000003-kitanihon-l16
ネットの反応
施設で働いてるけども蘇生して救急車呼ばなかったら警察が来るんだよ
救急隊員の荷が重過ぎる…
ちゃんと処分しないとダメだと思う
ルールは皆を守るためにある
勝手な判断は許されない
爺さん癌が発見され入院した。
彼は全ての延命処置や治療を拒否。
癌は最後は痛いと言われてるが、昔の人だからかな痛いの一言も言わ無かった。
容態が急変し駆けつけた時は呼吸も乱れ徐々に呼吸回数が減り力尽き最後を迎えた。
他界後分かったのは財産が殆ど無かった事。
治療費で家族に迷惑をかけるのを嫌ったのか、単に延命処置を嫌ったのか。
本人では無いので分からないが、それで良かったのか悪かったのか…
>「喜んで逝った」信じる
死人に口なしの花~。。喜んではいなかっただろう。死んだのだから苦しんでいたことは間違いない。
自分がもし末期の病気で寝たきりだったり死ぬと分かったら早々に安楽死させてほしい。
意味もなく延命治療されて無駄な費用負担や周囲の労力を考えたら死なせてほしい。
家族が延命を望むことによって、なるべく安らかに逝きたいと希望している本人に返って文字通り死ぬような苦しみで”加虐”している結果をなかなか理解されない。
“治療”と終末医療である”ホスピス”を分けるか選択できるようにすべきだし、臓器移植の選択の項目と同じようにいざ死に直面したら治療を選ぶかホスピスを選ぶかを選択する項目が欲しい。
そしてそのような選択を尊重できる社会にしたい。
治る見込みがないなら死に方の自由くらい認めてくれてもいいだろう。
命の美学とかいう古い酒に悪酔いし過ぎなんだ
5月の末義母をホスピスで送りました。深夜呼吸が・・とお電話頂き 静かに呼吸が止まるのを見届けました。点滴も酸素マスクもしなくて本人は寝ている間に逝ってしまったのかな?
でも延命もしないで!と言われていたので理想的な送り方だったと思います。深夜に見回りしていただいた段階で気づいていただいたので 自宅だったら朝まで気が付かなかったと思います。
安易に他人を入れるべきでない事をまなんだ。
胃瘻などの延命治療はしてほしくないけど、苦痛は取ってほしい。
今の医療制度だと、この辺がなかなか難しいみたいですね。
延命治療拒否=一切の処置を拒否 みたいにとられるようで・・。
あと、心肺停止状態で救急車を呼ぶと、変死扱いになって、
事件性があるか警察が調べに来ます。司法解剖もされちゃうので、
注意が必要です。
文字通り「救命」が彼らの使命、責務です。自ら来てほしいと要請し、到着した彼らに救命を中断させるのは彼らにとっても残酷です。何が正解かはわかりませんが、医師や看護師とは使命が違うことを一般市民も理解しなければならないと思う。
助かる命を見殺しにした、と家族が責められない体制作りも必要でしょう。これから独居や超高齢社会に向かう我が国にとって、真剣に取り組まなくてはならない課題です。
救急車を呼ぶと亡くなった後も厄介なのだそうです。警察が検死や事情聴取などで出入りするので、家族だけで静かに送りたいという時が台無しになってしまうと聞いたことがあります。
今は子供のために生きて、将来は子供のために死にたい。
私も父をガンで亡くしました。
でも、辛そうで、もう早く痛みから解放してあげたかった。
本当に辛い選択ですが、本人の意思を尊重すべきと思います。
「国が統一方針策定に二の足を踏む」って駄目でしょ。
しわ寄せは、現場に生じる。
エンドステージの時、救急車を呼ぶ人が居ますが、本人を苦痛に晒すだけです。
入院中も同様です。
昏睡状態に陥り、治療を継続させる家族がおります。一時的に回復して喜ぶ人もおります。ハッキリと楽に死なせて欲しいと医師に告げなければ病気の患者さんは余計な苦痛を受けることになります。
今年の冬に義父が孤独死をしました。
事前に同じアパートの親しい新聞屋に、自宅の鍵と嫁(長女)の連絡先を渡してあったようです。
新聞がポストあり早朝に部屋の電気が点いているので、「もしかしたら」と連絡が夕方にありました。
pm8時にも部屋の電気が点いて呼び鈴にも返事が無いと、連絡がありpm10時にアパートに着いたときには既に死亡しており硬直していました。
直ぐに警察に連絡し死亡していると言いましたが、救急に連絡をしてくれと言われました。
救急は死亡の診断?硬直具合・脈拍・呼吸・瞳孔などを確認して帰りました。
その後、警察が来て孤独死なので現場検証をし、死因の特定をする為に警察へ搬送されました。
自宅死亡は死の確認作業があり、日中なら医師が来て死亡確認するようですが、義父は夜間で自宅から離れたアパート住まいのため警察へ搬送して安置所で確認してもらいました。
とても難しい内容ですね。
なら119するなと
救急隊員は葬儀屋さんではありません。
このケースはみんなが通じ合って結果すごく幸せなケースだと思う。
だけど世の中には色んなケースがあって、末期癌患者で自ら治療拒否でどうしようもない状態までいって、今の時期など腐敗した患部にウジが湧いて本人錯乱状態になってて、周りが救急車呼ぶ。
しかし搬入先は前向きな治療に努力している医療者・患者の中に本人治療拒否で結果死にかけウジだらけを運び込むことがどういうことなのか、本人も関係者もよく考えなきゃいけない。
現代じゃ死ぬっていうのもかなり難しいことなんだ。勝手に「もういい、死ぬ」って言ってもなかなかそう簡単に死ねない。
手の施しようがない状態や本人自暴自棄になってても、救急搬送されたら搬送先では生かすアレコレをしなきゃいけなくて、その人員やベッドや時間、薬品などの分、ひとりが搬入できなくなっている。
難しい問題で答え千差万別だけど、生きることと死ぬこと、難しいんだ。
救急隊員だってつらいよ。家族から、生かしてほしい、けれど苦しませないほしい、けれど、なんとかしてほしい、とにかくそばで見とどけてほしい。
いくら家で看取ると覚悟していても、状態が急変したり目の前で苦しむ様子を見たら、なんとかしたいと思って救急車を呼ぶことはよくあることですね。
駆けつけた救急隊はマニュアル通りの心肺蘇生を行いますし、それで良いと思います。
今回のような感情のもつれを防ぐには、医療従事者からの十分な事前説明しかないと思います。
同じようなことが死亡診断にも言えます。息をしていない時に主治医ではなく救急車を呼んでしまうと、異状死体とみなされて検死されてしまうことがあります。
老衰で亡くなったのに検死されるって、ご家族としてはやりきれない。
このへんの対応も、しっかりと事前説明をしておけば防げることですね。
呼べばこうなります。呼ばないと、こうなります。という両方のメリットとデメリットを説明しておくべきです。
これからどんどんこういったケースが増えてくると思います。携わる人は、皆勉強しておいたほうがいいですね。
今年2月に、43歳の婚約者が他界した。
甲状腺クリーゼという甲状腺が異常に亢進してしまう難病により心不全状態で入院し、治療は順調だったが私が見舞いに来た日の深夜に心臓が止まり、看護師さんたちに蘇生してもらった。
その後彼の両親が車でかけつけ、数時間一緒に過ごしながら、最期を看取った。
看護師の友達によると、心臓が止まったからといって、必ずしもすぐに蘇生する対処をするわけではない、と。家族からの意思が明確でないと、ということなのか、彼の場合若かったからか、はっきりとしたことは不明ですが、良くしてくれた病院だったと思うよ、と。
一度心臓が止まって、意識もなくなって、それでも蘇生してくれたから、ご両親は死に目に会うことができた。
危険な病気とはいえ、あまりに急だった。あのまま亡くなってしまうよりは、たった数時間でも「死」への準備ができたかできなかったかでは、天と地ほどの差がある。
うちの父親は15年前に亡くなりました。
事故だったのですが病院に運ばれた時にはすでに脳死状態でいつ死んでもおかしくない。と言われました。
もしもの時延命しますか?と聞かれたけど
母親は望みません。
父親の兄弟は望む。と揉めました。
当時まだ小学生だった自分には分かりませんが母親は葛藤はあったと思います。
意識が戻らないのに病院に付きっきりで疲れきってました。
家族が納得いく最期ならいいけど、意見が割れると地獄となります。
何か家族の美談のような感じに描かれているが、一方で死亡時に医師の立ち合いが無ければ警察の検死捜査が行われるが、それを逃れるために蘇生措置を拒否するけど119番はするというケースが多いのも事実、
救急消防活動の本来の救命目的に反する役割を、その個人宅の目論見で押し付けている。
そうすれば搬送時は無呼吸の意識不明状態となり、搬送先病院で医師の確認により死亡となる。
そもそも家で死なせたいと思ってたんなら救急車なんか呼ぶんじゃないよ。
これこそ安楽死を選べるようにすれば解決する話だと思います。
私の親は子供の頃、肺がんで亡くなりましたが、
最後は本当に苦しそうでした。
自ら延命治療を断る時、私に泣きながら繰り返し繰り返し謝っていた光景が今でも瞼から離れません。
最後まで私を心配して息が出来ない恐怖と苦しみの中でも必死に生きた母が自分で耐えられないと延命装置を外す決断がどれほど辛かったか、
苦しかったか、私は今でも胸が締め付けられます。
安楽死を容認すればそれによる弊害が出る事もあるでしょう。
ですか、水の中で溺れる様な苦しみを背負い続けている人に頭を抑える様な治療は悲し過ぎる。
このご家族の葛藤とは違いますが、苦しんで生きた最後くらい楽に死にたいと私は思います。
介護や医療、ご家族、そして、ご本人の想い。
本当に、この問題は、難しいです。
ご利用者様の支援について、それぞれの専門職の方が、それぞれの支援を決めるのですが、特に、終末期のケアに関しては、本当に難しいです。
どこの気持ちを1番優先するか、なのですが、何が正解かとかわかりません。
なので、私は、両親の介護の問題になる前に、どのように介護をされたいとか、どのような最後を迎えたいかについては、たまに話しをきくようにしてます。
他の方のご参考になればとおもいます。
母の時、姉は医者から延命処置しますか?と聞かれよろしくお願いしますと、しかし交代で診ると苦しそうで思わずもう止めて下さいと言うと途中で止めると殺人になるどうして最初に言わなかったと咎められた、医者はじゃぁ兄妹話し合ってくれと言われ途中で外す事になったら、すぐ亡くなった。
その前日に看護婦さんが無駄な治療ですと私に言うのを母は聞こえていたのです、体を拭いている時に分かりました、その時目でもういいと言っているようでした涙
先月、83歳の父を自宅で看取りました。父は昨年6月に肺がんで余命1年を宣告され、一切の延命治療を拒否し、医療用麻薬で痛みを止めながら、仕事に遊びに好きなことをやり通しました。
5月下旬から痛みが出始め、薬を飲むタイミングがたまたまずれますと、苦痛を訴え、その様子はとても延命など望めるものではなく、一刻も早く楽にしてあげることしか考えられなくなるほどのものでした。
在宅医療専門の医師がとても良い方で、麻薬の効き目をどんどん強くしてくれたために、亡くなる1週間前には酸素吸入を行いながら九州に出張し、階段を上がる体力がなくなったため医療用ベッドで寝起きしたのはわずか3日。ほとんど苦しむことなく旅立ちました。
麻薬をふんだんに使えば、QOLはかなり良好な状態に保てます。患者に好きに過ごしてもらうこと、苦しみを取り除くことを長生きより優先させたほうがいいと思いました。