昨年から大分県竹田市の山中で、ガラスや鉄の破片が相次いで発見されている。その数、約60点。太平洋戦争末期に旧日本軍が投入した戦闘機「紫電改」の残骸とみられる。戦況打開への一筋の光として、日本に続々と襲来する米軍機に立ち向かった当時の新鋭機。
発見現場の上空では今から74年前、紫電改に乗った19歳の少年航空兵、粕谷欣三さんが米軍のB29爆撃機に体当たりをしたという逸話が残っており、今回発見されたのはその機体の一部の可能性が高い。
粕谷さんの紫電改は当時、どんな戦いを繰り広げたのか。逸話の基となったとみられる目撃者の証言に加え、日米双方の関係資料を探ってみると、伝承とは異なる戦争の実相が浮かび上がってきた。
1945年5月5日。その日の竹田市上空は晴れ渡っていた。
撃墜されたB29の機長だったワトキンズ氏(捕虜になった後、帰国)の証言によると、午前8時ごろ、福岡県の飛行場を爆撃。帰路に就こうとしていた頃、エンジンが被弾したという。攻撃したのは紫電改だった。
旧日本海軍の資料では、紫電改は午前7時26分、長崎県の大村航空基地を飛び立っていた。同8時5分、紫電改は大分と福岡県の久留米間の上空、高度6000メートル付近で10機のB29をとらえると、直ちに攻撃に移った。
B29は各機に10人ほどの乗組員が搭乗し、近づく敵機に機銃を浴びせる「空の要塞」。八方から弾を飛ばす様は、旧日本軍パイロットの目に「ハリネズミ」のように映ったという。
全長は30メートルで、1人乗りの紫電改の3倍以上の大きさ。エースとうたわれたパイロットでも、次々と機銃を撃ち込んでも火を吹かない巨体にてこずった。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190813-00010001-nishinp-soci
ネットの反応
我々は空に散った若者たちのお陰で、今を平和に生きる事が出来る。その事を決して忘れてはならない。戦死者には敬意を払う事は当然の事であり、日本の教育現場でもしっかりと指導するべき。靖国参拝に反対する人の気持ちが私には理解出来ない。
こういった記事を見ると戦争って愚かやなーといつも思う。(結果操られてるという意味で)
九州大学で行った、生きたままの解剖。
終戦間近なのに、何故解剖までしたのか?
罪だよな?!
この手の話美談にしたら駄目よ!戦争とはいえ、殺し合い!被害者手もあり、加害者でもある。
尊い犠牲の上に、今の日本がある。英霊に感謝します。合掌
19歳といえば、予科練を卒業して、まだ間もないはず。それでも、他の特攻部隊にはいかず、343部隊に所属していたというのは、相当に優秀な方だったんでしょう。背面垂直等の一撃離脱は、あくまでも、一撃が鉄則です。
それでも、背面垂直の後、再度上昇して機首を引き起こすには、高度8000であれば、緩やかな引き起こしが必要な事は充分知っていたはずです。でも、実戦では、そういう常識が通じません………
戦争は、一部の権力者が始め、死んでいくのは青年達..名もなき庶民
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抜き差しならない絶望的な状況の中でも戦い続けたパイロット達に脱帽します。
何故に育毛剤?と思ってしまった。
生きるか死ぬかの空中戦で命を落とした全ての犠牲者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
戦争の犠牲者になるのは、国民であり、その痛みを忘れては、なりません。
こんな「戦法」を考えたり、体当たりの命令を出した上官達は戦後責任とったでしょうね?
さすがに重爆撃機と戦闘機じゃ機動力違いすぎて、壮絶な空中戦にならんでしょ
ここまでやる手前で講和会議に持ち込めなかった外交音痴の犯人を考えます
外務官僚
外務大臣
首相
天皇陛下
軍人
有識者
海軍、陸軍官僚
マスコミ (朝日新聞NHK殆どが戦争を煽っています)
特効をやらずに、上手い外交で講和会議に持ち込んでいたらこうなていました
1米軍基地
2北方領土問題
3原爆
4沖縄戦
8月の戦争のじきだからこのようなニュースのつもりだと思いますが、特攻まで国を挙げてまでやった悪党たちを見つける論点を73年間避けてきました、あるいは知られないように隠されてきた
上記に挙げた組織の個人の特定までやらないと、歴史はいつか繰り返します。
日本の戦争番組の特徴は、細かく分析がない、全部が悪いことは確率的にありえない
戦争は喧嘩です。喧嘩の原因は欲です。戦争がゼロであり続ける確率はゼロです
日本の戦争番組は「戦争全体の悲惨ばかり」を強調して本当の悪人はその中に73年間も隠れてきた
捕虜に対する日本軍の行為は…正気の沙汰ではない…
ほとんどの者が…口を噤んだ…生き残ったものは罪人
どんな気持ちだったんだろうと想像するだけで苦しくなる。絶対にお国の為と言いつつも死にたくなかっただろうに。当たり前だよね。10代、20歳とかの若い方々。
行かないなんてチョイスがなかったんだもんね。今の生活があるのは犠牲になって国の為にと命を張ってくれた先人達のおかげ。冥福を祈り、毎日生きていられる事に感謝しないといけないと改めて考えさせられる。
今も地球のどこかで戦争が起こっている。
同じ種族を殺しあうのは人間だけだそう。
愚かだけど、どうしたらいいのかわからない。
心よりご冥福をお祈り致します!兵隊様のおかげで戦後の繁栄が享受出来ました!
ただ、兵隊様が戦争に行かれ、日本の為に命懸けの戦いをされてた前後に、産まれた世代が戦後の日本社会、会社で中心になって働き、わりと多くの場合、自己保身の美味しいとこだけ、取って辞めて行きました。今や、税金のお荷物になっています!
機会が有りましたら、兵隊様のお墓参り、させて頂きます!
そして、追悼の念を捧げます!
腕のいいパイロットが最後まで戦った姿が伝わって良かった。ただ墜落した米軍パイロットが北九州大生体解剖の犠牲者になった事の方が今の日本人にはショキングではないのかな。戦死した紫電改のパイロットも墜落した米パイロットを生体解剖する事は望まないはずだ。
胸が痛くなる思い。戦争を美談にしてはならない。
米兵捕虜に対する生体解剖実験は、いわゆる九大事件として知られています。
紫電改のパイロットの勇猛果敢さが、人類史に残るおぞましい事件につながったとは驚きです。
戦争は絶対いけません。
731部隊は生体実験専門の部隊でしたよ。
戦時中は全てが狂っていると思います。
今の平和な世の中から、すぐに壊れてしまうような機体は作らないですし、生体解剖実験もしないです。特効にしても、今では信じられない作戦だけけれど、その当時の人たちは大真面目にそれをやっていて、特効隊に選ばれる事を誇りに思っていたんですよね。
高校の修学旅行で知覧特攻隊資料館に行き、元特攻隊員の話を聞きましたが「死ねなくて悔しかった。生きていて良かったと思ったのは、戦後しばらく経ってから」みたいな事を仰ってました。
少年航空兵は「お国の為に死ねて良かった」と思いながら死んでったんでしょうか?
戦争は未来ある若者の命が大量に失われていきます。なので、二度と戦争をして欲しく無いです。
小日本的?机 在空中自己就分解了哈哈
終戦間際の7月20日から8月10日迄の米軍の総攻撃で南方戦線では沢山の日本の兵隊がなくなっています。
祖国防衛と大和民族、日本国の繁栄と平和のためになくなったと思います。
戦死された日本の兵隊の方々は、生きて日本に帰りたかっただろうし、
亡くなる時はつらかっただろうし思う度に胸が痛くなります。
空飛ぶ要塞 B 29に体当りしたエピソードは漫画やアニメの中だけの話かと思いきや、さにあらずだったのですね…確か松本零士作、コクピットという劇場版アニメにそんな話があった。
実際、日独伊の三国同盟も最後は日本だけになるも、それでも連合国相手に孤軍奮闘戦ったのだが…
何故に東洋の小国がここまでしぶとかったかという疑問がわくわけだが…それは死を恐れなかった事があげられる。
連合国には理解出来なかった事であり、現代の我々にも理解出来ない事だ。
しかしその死を恐れない行動は最大の脅威だったのであるから。
安く扱われた命。これが戦争。
戦争するしかないんじゃないですかっ!のネトウヨは、
自分の命は大切に、人の命は粗末にする卑怯者。
戦争の残酷さがよくわかる
毎年この時期になると戦争悲話が多いな~。当時は、お国のために華々しく散ってこそ名誉とされていた時代。これは教育によって国民に植え付けられた風潮にほかならない。
大本営の司令塔は今から思えば無謀な戦いをしていたのかと怒りを覚える。日本は平和国家となり戦争は二度としない憲法を作ったが、近隣諸国の侵略に備えなければならない現状を考えると改憲は、やむを得ないだろう。
人類はどうして醜い戦いをいつまで続けるのか。お互いの立場を尊重し協力し合えば、世界平和となるんだがな~。残念だ。
戦いは相手の意向もあるので時として避けられないものだが、相手の国力技術力を見誤った戦争指導者たちの罪は決して軽くない。勝てない戦争をしてはいけない。
まぁ戦後ぬくぬくと育ってきたオレなんかがコメントする類のものでは無いが、若くして尊い命を無くされた方々への尊敬の意は持たないとね。
再び日本が孤立しないように、政治(とくに外交)はしっかりやって欲しい。
『生体解剖手術の結果、死亡』って。。。九州帝大において軍部主導で、おぞましい実験が行われていたって事? そら極東軍事裁判で裁かれてもしょうがないよ。 申し訳ないが紫電改が体当たりしたかどうかなんてどうでも良くなってしまった。