誰もが一度は、お坊さんのお経やお説法を聞いたことがあるはず。でも、「般若心経」だとか「南無阿弥陀仏」だとか、
「菩薩」や「如来」の意味、知ってます?お寺の漢字だらけの言葉って堅苦しいイメージもするし…。
それが、最近、お寺の前にある掲示板の言葉がSNSで話題なんです。
限られたスペースで仏教の教えを伝えようとすると、インパクトの強い言葉が並ぶことだってあります。例えば、人生についてのお説法が掲示板になると…
「おまえも死ぬぞ 釈尊」
「釈尊」とはお釈迦さまのことだとか。その言葉の強烈さは、真実を語っているだけに、鋭い…。やはり、悟りを開いた方のお言葉は、深いですね。
一方、お笑い好きにとっては馴染みのあるギャグが、お坊さんによって慈悲深い言葉だということに気づかされたのが…
「君たちがいて僕がいる(チャーリー浜)」
往年のギャグが仏教に通じていたなんて…。仏教の「縁起」の教えに通じる言葉だそうですが、すべてのものはお互いに深くかかわりあいながら成立している云々…なんて説かれるよりも分かりやすい。この言葉を選んだお坊さんのセンス、ナイスです。
そして、お寺は癒してくれる場所だということを掲示板で表現すると…
「大丈夫だよ、生きていけるよ」
これは心にしみます。つらい時は救われる言葉に聞こえますし、元気な時だって支えてくれる言葉になるはずです。変えると門徒さんから戻してと言われるため10年以上掛け続けているというのも納得です。
これらは全て、お寺の掲示板の言葉たち。お坊さんが仏の教えや悟りを身近な言葉で分かりやすく説くために書いているものです。
仏の道を修業しているお坊さんが考えているだけに、ハッと気づかされるものがあります。そんなお寺の掲示板をTwitterとInstagramで集めて話題を呼んでいるのが「輝け!お寺の掲示板大賞」です。
今回紹介した掲示板は、2018年に入賞した作品たち。今年も7月より開催され、既に昨年を上回る数の力作が集まっているそうです。中にはバズる掲示板もあり、最も話題になったのが
「衆生は不安よな。阿弥陀動きます。」
お笑い芸能事務所の騒ぎの際につぶやかれたTwitterのパロディではありますが、阿弥陀仏が行っている慈悲のはたらきを表現したもの。仏道のことわりに沿ったお言葉なんだそうです。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191026-11001445-maidonans-life
ネットの反応
時々、思い出すんだよね、この掲示板
昔見た( ´~`)
諸行無常だと言うことを忘れてはいかんと言う事ではないのかね
これをごやくしたのが、気象庁の、命を守る行動のようなきがする。だから、気象庁のは、異わかんある。
日蓮と親鸞は真逆の思想
両方素晴らしいとする、この団体は狂ってる
> おまえも死ぬぞ
この後には「だから今を楽しめ(=精一杯生きろ)」と続く。
忘れるよね
うーん。
人は確かに今世に一度 死ぬね
また 生まれ代わるけど。
何回も何回も 生と死を繰り返し繰り返し…。
まあ、自分があの世で決めてきた 寿命まで 今世は頑張ろう(楽しもう)
近所のお寺の掲示板に「死とは生まれた時から始まっている」と書かれていた。深い…頭から離れない言葉です。
当たり前の事じゃないか、くだらねえ。
原始仏教は哲学に近いかもしれないが、日本は大乗仏教の国。
前行ったお寺に『今年は忙しい。来るな!』って書いてあってどう言う意味かと小一時間考えてしまった。
「お前も死ぬぞ」
うん。知ってる。
実家の近くのお寺にも、書いてますね。
後でやるは、結局やらない。って書いてあった時は
その通り!って思いましたね。
誰もが一度は通る道でしょう!皆さん一度は死ぬでしょう!別に有り難い言葉じゃない、当たり前の事です
お寺にはコピーライティングの達人がいる。
死は生きる者に平等に訪れるもの。それがどんな形で、どんなときに訪れるかは人それぞれ。いつかを覚悟している人はほとんどいない。当たり前と思っているその日常はいとも簡単に覆される。ここ最近はそんなニュースばかりです。
宗教は
道徳です。
徳井だけは早急に願います
当たり前の事!
背中に気を付けろ!の方がインパクトがある。
知り合いが、檀家の代が変わってお布施が少なくなった為、自宅に自治会長から電話かかって来て、「お布施しないとバチが当たるぞ」って言われたから「バチ当てる様な仏ならいらんわ!」と電話切ったと。
これね、
たまに見るけど初めて見た時は理解に苦しんだわ?
みんな知ってはいる
でも、わかっている人はこの世に一人もいない
今を生きろ(*´-`)
かける言葉は難しい。
10人いれば10通りの受け止め方があるように思う。
おまえも死ぬぞ、は私は戒めの言葉と受け取った。
真宗の寺にしては真面なこと書いてるね^^
哲学や宗教って、単に人間の慰めのためだからね。
人間中心、それが唯一の目的。
その証拠に犬やライオンのために考えられていない。
だからある種のヘリクツでもあり、多様であって完全解は存在しない。
自然は人間のためにあるわけではないってのにね。
だから盲目的に信じた結果、悲劇を呼びこんだ思想が多々ある。
それを認識することが先に進むことだと思われるが。
なにせ今の宗教は、数千年前発祥。
真言密教なんてのも空海から1200年もたった、大昔の思想だから。
一昔前と比べても現代は『死』を生活から遠ざけていますよね。
昔は家で亡くなっていたのが今は病院で亡くなってすぐに火葬。
地域の人のお葬式に出ることも無くなったし。
多くの人にとってペットが死ぬときが1番身近な死かも知れない。
驚きもしないけど。遅かれ早かれ誰もがそうだからな。
標語のようなインパクトはあると思う。
これでどきっとする人は幸せな人なんだよ。
おまえも死ぬぞ。
はぁ。もう死んでますが。
合掌