2007年、若槻千夏は芸能活動を休止した。自分でもよくわからない。勢いだけだった。退路を完全に断ち、あてもなく渡米した彼女を救ったもののひとつがインターネットだ。mixiで情報収集をし、WEBストアで古着を売って1年間なんとか戦い抜いた。
帰国後はブランド「WC」を立ち上げ、国内外で愛されるキャラクター「クマタン」を生み出す。現在では、タレント業とクリエイター業をこなす。多忙を極めるはずだが、話す姿はほがらかだ。テレビの視聴率は落ち、雑誌は軒並み休刊。
一方で、インフルエンサーマーケティングという言葉が頻繁に使われるようになり、結婚報告もInstagramでする時代になった。メディアの影響力が変わりつつある時、彼女はどうやって仕事に向き合っているのだろか?
DMでやりとりして会う約束をしたら、現れたのは芸能人
――人気絶頂の時に、どうして突然LAに行ったんでしょうか?毎日収録と撮影に追われて、楽しかったんですけれど……とにかく「できない!」って思っちゃったんですよね。事務所には「古着の買い付けに行ってくる」と言い張って。22歳のときですかね。
――反対されませんでしたか?
めちゃくちゃ反対されました(笑)。当時は事務所も小さかったので、私がいなくなったら回らなくなっちゃう。
でも、「これから1年間は日本で働くので、その1年以内に次のタレントを見つけてください」って言いはっちゃったんですよね。それで、23歳のときに渡米。
――帰る場所がなくなる不安はなかったんでしょうか?
帰るつもりがなかった……ひょっこり帰ってきましたけど(笑)。
――英語は……?
全然! 未だに話せないし、話す気もないです。ジェスチャーとノリでコミュニケーションをとってましたね。英語ができないからこそ「がむしゃらな日本人」に見えたのか、手を差し伸べてくれる海外の方は多かったです。英語がペラペラじゃなくて逆によかった(笑)
本当にすべて手放して、ゼロからスタートだったので、プライドも何もなかった。
――現地ではどうやって情報収集を?
基本的に買い付けは足で稼ぐけど、mixiも使ってました。古着とか在米コミュニティに入って情報収集をしたり、アポを取ったり。
――本名でやっていたんですか?
確か「チコツちゃん」、「千夏ちゃん」みたいな……恥ずかしい名前でやってました(笑)。mixiは流行る前からプライベートで使っていたので。
ブログはタレントとして多くの人に見てもらうために書いていたんですね。でも、mixiは「プライベートでやってもいい」のが、すごく衝撃的でした。
――アポはどうやってとっていたのでしょう?
50人ぐらいにDMを送りました。返信が来たのは5人かな……。「チコツちゃん」っていう謎のアカウント名で、「古着をやりたいんです」といきなり連絡が来ても返さないですよね。怪しいですもん。
返信が来た人とは、連絡先を交換して会いにいきました。
――DMやりとりしてた人と実際に会ってみると「若槻千夏」だった。これってかなり衝撃だと思います。
アメリカなので、日本人といえども「若槻千夏という芸能人」のことを知らない方も多いんですよ。
あと、プライベートだと静かな性格なので「もしかして、若槻さんですか?」ってぐらいが一番多いです。顔より声で気づかれることが多いですね。
知ってる人は誰もいないし、気持ちを伝えるのは大変ですから、不安で泣くこともありました。でも1年、とにかく古着を買い付けては、きれいに洗ってWEB上で売って。
最初は「こんなの東京でも売ってるような古着じゃん」と言われることもあったんですけれど、なんとか。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181020-00010001-bfj-ent
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