時間はある、もう戦わなくていい中、手先の器用な人もいるし、何でも手作りするしかなかった時代だから作れる人も結構いたのかも。思わぬ方面から当時の資料ですね。
日本人捕虜が「時間つぶし」に制作した美術品 「驚くほど質高い」の声(47NEWS)#Yahooニュースhttps://t.co/gXxjGVJcJQ— 銀色のたてがみ (@wow_giniro) December 2, 2020
ネットの反応
もっと様々な職業の人が居たんだろうな。優しくしてくれた農夫や看護婦に作品を送ったエピソードなんて、両国の民間人レベルは本当は血の通った交流が出来たのにと思う。
悲惨な思いをするのはいつも民なんだな…
いつどうなるか、死ぬのが目の前かも知れないと言う状態が戦時中だと思うんだけど、
この状態で捕虜になり、収容所に入り、その時間に彫刻や絵を描くってどんな気持ちだったんだろう。
普通の暇潰しとは違う。
なんかこーゆうのも今の子供達が学校で知れる機会がたくさんあると良いな。
日本中から本来は戦いに不向きな人達も徴兵されて戦地に送られたのですから、平和な時代なら芸術家や工芸家になるような人もたくさん戦地に送り込まれたのでしょう。
これらの作品が後世に残ることを切に願います。
オーストラリアは捕虜の処遇が比較的良かったということ。国際法をきちんと守るとこうなる。
シベリア抑留では何か残せたとしてもここまでいかなかったんだろうな。
一方、第二次大戦中の日本の外国人捕虜の扱いは相当酷いものや虐待も多かった。
これ読むと、人道や国際法遵守の視点があったオーストラリアが
終戦直後、日本の戦争犯罪に厳しかった理由が分かる。
第一次大戦の頃までの日本は、欧米人捕虜の待遇はわりときちんとしていて
国際法を守るという意識があったんだけど。
こういうのを見ると、戦死者●万人とか、一括りにしてはいけないとおもいます。一人ひとり、個性のある人間だったんだね。こうやって手作り上手な人もいれば、歌が上手い人、運動神経いい人、話が面白い人、物静かな人、いろんな人がいたんだろう。
それにしても、何もない中、こんなクオリティーのものを想像力で作っちゃうてすごい。やっぱ、今のこの情報過多の時代に、想像力ってなかなか育たないですね。豊かすぎるのって、ほんとに問題ですね。
暗い部屋で、二度と出られ無いかも知れないこの部屋で、自分が生きた証を残したかったのでは無いかと思う。それは、決して暇つぶしでは無い様な気がする。万が一、手掛けた作品の一部でも日本に渡る事が有れば、家族なら、自分の作品を見極められるかも知れない。
家族や恋人に、「自分はまだ生きている。」と、伝える手段になるかも知れない。色んな思いがあったのだろう。最後にもう一度、恋人を抱き締めたかった一心で描いだかも知れない。胸が締め付けられる作品です。
『時間つぶし』とは失礼にも程がある話しです。
捕虜になり脱走も捕虜交換も期待出来ず、軍や政府・更には祖国から見捨てられた我が身を痛感しつつも、社会更には日本その物との紐帯を失うまいと日本的な代物の創造にすがったのでしょう。
戦時中だけに侵略戦争への反省こそ込められていないにせよ、図らずも国内では困難となった自由な創造性が発揮されているでしょう。