ネットの反応

京大医学部の知り合いで、社会人になっても数学や物理の難問を趣味で楽しんで解いている人がいる。
一応同大学卒の私には解法どころか、その意図さえつかめない問いだが、その人にとっては知性を刺激するパズルのようなものらしい。人には努力では越えられない壁、生まれ持っての能力の差があるのだと素直に実感した。
ありていに言えば天才というものが存在するのだ。

才能に差があり過ぎて嫉妬さえできなかった。
ただ受験に費やした日々は、私にとってかけがいのない良い想い出ではあった。

大数は浪人時代から大学に入っても、社会人になっても毎月買い続けています。もう20年くらい??

仕事に追われて、だんだんと数学と疎遠になっていますが、学コンの面白そうな整数問題は今でもチャレンジしています。

だんだんと知力が落ちて、なかなか答えられる問題が減ってきましたが、2行程度の問題に何時間も考えこみ、方針を思いつき紙に書き起こしている時、数学の醍醐味を感じます。

大学への数学から、まさかフィールズ賞受賞者が現れていたとは、、知りませんでした。学コン仲間となると、少し親近感を覚えます。

「大数」懐かしいです!

毎月、友人とどちらが上位で載るか楽しみにしていました。

毎月上位に載る、同じ高校(まず目にしない学校名)の人。
名前が受け持ってもらったことのある数学の講師と同姓同名。

あの先生ならもしかしてと思ったところ、
好きで、ずっと送っているとのことでした。

私は大学入学と同時にやめてしまったけれど、
たまに書店で見かけると、当時の苦しかった受験生活でさえ、
今の自分にはない輝きがあったであろうと懐かしくなります。

この季節、私だけかもしれませんが、外の冬の匂いを嗅ぐと、
受験生の頃を思い出します。

あれからずいぶん時間も経って、その間色々経験したのにも関わらず、
未だにこの季節は受験本番に向かう季節の移り変わりが
心のどこかに残っているんでしょうね。

数学には才能のある無しのガラスの天井がある。標準的な問題は努力すれば出来るけど、東大の難問とかセンスが無いと解けない問題がある。大学への数学は東大、京大目指す人たちの腕比べの場。

>私の研究はすぐ社会の役に立つものではないけれど、役に立つ研究をしている人のベース、川上のところにあります。

私も端くれの端くれとはいえ、
大数に(たまに「学コン」おもに「日日の演習」で)お世話になった身で、
今はなんだかんだ、これまた末端の末端で、

学問の基礎研究に役立ちたいと思っている身なので、
森先生のような大先生がこのように発信してくださるのは嬉しい限りです。

巻末の読者からのコメントが一番好きだった落第生ですけど、
今でも書店に行くと『大学への数学』を手に取ってしまいます。
これからもずっと残って欲しいなあ…。

私は小さな漁村で育った 小中高は全て廃校になってしまった 受験生になり自分のレベルも判らぬまま隣町の本屋でこの本を見つけた 暑い夏一日数時間立ち読みをし心の中で問題を解いた

そのうちガッコンというのに応募するようになりノートやバインダーをもらうようになった いつしか大都会の大学に進み結局立ったまま何時間も作業する職に就いた 興味と苦痛が入り混じる困難。

やり始めたらやり遂げねばならない 変わることのない暑い汗。自分に自信を与えてくれたあの頃の気持ちのまま同じ20年以上が過ぎた 今でも解けるのかな この前買った大数がそのまま残っている 引退したらやろうか 子供に繋げようか

今でも大学への数学、残ってるんですね!
本当に難しくてこりゃ天才達が挑戦する問題、自分には無理と書店で買うのを諦めたのを思い出しました。効率重視マニュアル世代なんて年配者が揶揄するなかで、こんな入試にも出ないような難問に立ち向かう高校生が今でもいるなんて素晴らしい。徹底的に頭を追い込んでこそ天才秀才が育つ気がします。

記事も読みやすく取材者への尊敬が感じられました。

同い年だから描きますが隣町出身のOくんが毎回150点取っていて高校は金沢大学附属でしたがこんな奴もいるんだと思い理学部進学を辞めました。ちなみに小生は135点が最高でこれは全国20位以内に入っていたと思います。

Oくんの実家は今も続く医院で彼は慶應医学部も合格したが森氏と同じ京大に進学、数理研を経て名大数学科で長く教授をやっていました。

145点が最高ということはなかったと思います。なぜなら3ヶ月通算という評価もあり満点が彼でしたので。当時前の年は東大の入試がなく入試レベルが上がり大変な年の翌年です。

小さい頃から算数、数学ばかり解いてました。
周りからは変人扱いでしたが(笑)。ただ、数学は面白い。問題から答えを導く過程が山ほどある。過程を見つけるのが楽しい。大学への数学、会社の引き出しに入ってます。もう一度、基礎からやり直してみたい。

日本、いや世界を代表する数学者である森重文さん
学コンの伝説は今も界隈に轟いている森さんが首席を取り続ける中で、次席を取り続けた人の話もともに伝わっている
数点差で次席だったが、実際には数点差ではなく天と地ほどの差があったのだと、フィールズ賞を受賞をした森さんを見て理解したと
点数上は150点までしか付けられないが、森さんの点数は150点をとうに超えてしまっていたのだと

記事のフーリエ展開の話は私もよく教壇で引用する
何のために勉強するのか、研究するのか、学問が存在するのか
世の中の役に立つもののためにするものだけが勉強ではない

その勉強が役に立つのは数十年後か、数百年後か、それは誰にも分からない
それでもいつかそれが大きな花を咲かさるかもしれない
勉強は知的好奇心の種を植えることである

「私の研究が役に立ったという報告は、今のところ聞いていません」という森さんの言葉が全てである