ネットの反応

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介護の資格の講習では声掛けが基本ですとかきちんと利用者に説明する事が大事ですと学びます。これは職員の話が理解出来る一部の利用者に限り有効です。施設に入所している認知症の利用者はかなり症状が重いです。職員の言葉を理解出来ません。理解出来るのはごく一部の利用者です。夜間トイレに行く利用者が2人、3人と重なる場合があります。その時は声掛けをして待ってもらうしかないのではと思われるかと思います。しかしこれも先程お話したように利用者が職員の話を理解出来る場合に限り有効です。重なった2人ないし3人が職員の話を理解出来ない場合があります。職員が介助できるのは1人です。あとの2人は介助出来ないので転倒の危険性が発生します。厚生労働省の人員基準の緩和は現場の状況と乖離しています。
1-1
でも高齢者に掛かる福祉費はけしからん!って社会が声の方が大いわけで この※にそうおもうって押してる者のほとんどが日常的にはそう声をあげてるんじゃないかなまた 子は親の同居はやだ 親の面倒みる余裕なんかない
親は子どもの世話になるのはぁ 別々の方が気が楽だしぃ
なんてお互い言って
金銭的余裕もないのに子育て費用も老後費用も
生活コスト増の別居を選び
それで重くなった生活費負担や
方や子育て労働 方や老老生活負担が苦しいといって
子供や老後は社会で看るべき なんてメディア論に都合のいい時だけ賛同し福祉費用を増大させ そういう社会にしてきたわけで
それで福祉費増大ふざけるな!言ってるんやから  それが民衆なのよ

子供も老人も 社会で看れば労働力が発生し金が要る
世代間で助け合って看れば己の手間が要る
金銭負担も手間も嫌だ!なら
将来老いたら 己らがこの環境以下の元に送られるんや

1-2
認知症ならいい。下手に記憶力だけはいいくせに理解が悪い人は最悪。
2
虐待はダメな事です。絶対にダメな事です。
が、介護の現場ではしてはいけない事とわかっていながらしてしまうほど精神的に追い詰められるスタッフが多い事も事実です。言えば分かる、アドバイスすれば実行できるという人が相手ではありません。これは現場で働かなければわからないかもしれませんが、多くの人はとんでもないストレスを抱えながら働いています。介護の業界が今の制度のままなら
こういった事件はなくならないどころか、ますます増えていくのではないかと思います。
2-1
特養で勤務していますが、福祉系大学の介護理論は現実と乖離しすぎています。人員も予算も充実している現場なら成り立つ理論ですが、そのような現場は皆無です。もっと介護する側に視点を当て、持続可能かつ現実的に提供可能な範囲で適切な介護を提供することを目指すべきです。学者や役人など法律立案者も2,3か月特養で働いてみればいい。なぜ虐待や放棄が起きるのか、心身ともに疲弊した状態で利用者目線を維持することがどれだけ大変なことなのか身をもって知ることができるだろう。

2-2
今回は精神的というよりも入所者の状態に対して人が足りてないのが問題ですね。
階ごとに一人配置だとオムツ替えの時に部屋から出て徘徊されると寄り添わないといけなく、その間は他の入所者を放置してしまう。
全員の安全を考えると部屋から出さない選択をする人もいるでしょう。
一般的には寄り添う事を選択するのでプライバシーが疎かになったり他の入所者の介護が疎かになりますね。
つきつめれば国が真剣に問題を考えず末端の職員が責任を負う形になってるのが問題だと思う。
2-3
金の問題だけじゃないと思いますが。
人数が少なく対応できない事を知った上で、人件費削減の為に施設側が意図的に2人にしたのなら、施設側も多大な責任が求められる。
ナースコール止めるのも監禁も施設側は黙認、容認してた可能性が大きい。
私が実際に見た事あるのは精神病棟だが、勝手に歩いたり余計な手間を増やす人は、ベッドに何日も手足拘束されるなんて当たり前の光景だった。
これは患者の為なのか、職員の為なのか。
2-4
どんな理由があっても超えてはいけないラインがあります。スタッフが不機嫌になったりケアが雑になるとのは訳が違います。
重大な人権問題です。どんなに大変でも、もし対象者の家族がいたら目の前ではやらないことは、対象者と2人きりのときもやらない。この意識が大事だと思います。

2-5
僕は看護師ですが、以前は老健で働いていましたので
介護士さん達の大変さや待遇の酷さは知っていますし
役員や管理職の糞ぶり(失礼!)は本当に最悪でした。ただ、それで高齢者を虐待するのは違いますよ。

残念ながらどこにでも悪質な介護士や看護師は居ます。
給与が低いから?忙しいから?それで虐待するのですか?
違います。人間性の問題です。

僕の同僚でもナースコールが聞こえないふりが得意な人がいます。
おむつを替える時にわざと乱暴にする人がいます。
でもご家族の前では優しく親切で好印象な人です。

「忙しくて大変だから虐待する気持ちは分かる」なんて言葉は止めて下さい。
逆にどんなに大変な環境の中でも一生懸命頑張っている職員に失礼だと思います。

忙しく待遇が悪いからと言って子供を虐待する保育士に同情しますか?

給与が悪いのも休みが少ないのも入所者さんが悪いのではなく
経営者や国が悪いのです。

2-6
高齢者施設での虐待事件が起きると、仕事の過酷さ、給与の安さから仕方ないっていう意見が必ず出るけど、やっぱりやってはいけないことは、やってはダメ。
もともと優しい人なんでしょうから、やらないで済むように働きかけるとか、仕事を変えるとか。
お金もらって、人を虐待?おかしくない?
2-7
人権問題で拘束はダメだ。職員の指示に従わないから大声で注意すると暴言だ。実際に認知症の高齢者介護を行って見れば解るだろう。綺麗事を言っていられない。指示に従わないで事故が発生したら介護者の責任だ。
2-8
まあね。でもスタッフ側の状況だって分かるよ
夜になると奇声あげたり徘徊する人1人居て、相手してたらもうそれだけで手一杯になる
構って欲しくて何度でもコール押す人もいる
最悪の事を避ける為に必要悪が発生してしまう
って話なんだろう
元々介護志望する人って良い人割合高いのに
↑これホント
2-9
>それで高齢者を虐待するのは違いますよ
うん。言いたい事は分かる
これは虐待か否か?って話になるんだと思う
仮にスタッフ2人で徘徊が3人居て、2人手がふさがってる時に3人目を徘徊させておいて転倒の危険にさらした方がマシなのか、とりあえず出られないように室内に閉じめておくのがマシなのか
2-10
現場を知らない人が正義を振りかざし「けしからん」と職員を安易に非難するのは違います
高齢者といっても力があって、お風呂に入れる度に爪をたてられたりツネられてナマ傷が絶えなかったり、四六時中理不尽な小言を言われるという環境だとしたら…
仕事だからと言われても人間である以上限界があります
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保育も介護も、体力.知力.忍耐力.マンパワーが必要な業種だと感じるのですが、保育より介護の方が大変です、軽い重いの軽量では計れないないのですが、他のコメントにも有りました、重い.日常生活活動が難しい.理解とコミュニケーションが難しい、そこから認可基準を考えると、監視程度しか想定してなかったのではないだろうか?と感じます、そして、労働環境は其れは其の通りに反映して居るとも感じます、だからといって虐待があってはなりません、夜勤勤務中は事務仕事.昼間用準備などは無くすなどして軽減したり余裕を持てるようにしては?とも思います、其れでも監視型介護をする方はいらっしゃると思いますが
3-1
本来退去で別の施設に移って貰わなきゃならない方を惰性でそのまま置いちゃったんじゃないかな
って気はする
他の施設見つからない、順番待ちでどうにもならないと身内に相談されれば致し方ないって事もあるだろうし
「見守り」程度の筈だったのに
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内情が分からないのでなんとも、だけど。
少し前に、トイレに誘導した利用者さまから目を離し、別の利用者さまの対応に行っている間にその方が転倒怪我されて訴えられた事件がありましたよね。
どう怪我を防ぐか。利用者さま全員の安全な夜を守るか。
難しい問題だとは思います。
4-1
ナースコール、分かっていて連打する人もいます。
分からなくて暗がりで光ってるので押す人も多いです。
高齢者は夜中に何度も何度もトイレに行きます。
1人では転ぶけど歩いて出て来てしまう高齢者を、転んだら責任はこちら。
しかしそれが何人もいて職員は一人きり、それ以外にオムツ外して全身ずぶ濡れ、便まみれ、
大きな声で叫ぶ人。でもミトンもツナギも虐待になるのでダメだそうです。
もちろんベットから落ちるので危険回避のために柵を追加するのも虐待で禁止です。

これでどうしろと?

4-2
西宮病院の件であれば一人にすれば転倒する事分かっていたのに介助中に離れたから。
普段から転倒が予見出来ない利用者の転倒は防ぎ切れない。
4-3
その人の尊厳てとても大切だと思うけど職員の尊厳だって同じように大切なんですよ。虐待はダメだけど。
4-4
勝手に動き回られて怪我をしたと言うのを防ぐにはどうしたらいいんでしょうね。
4-5
利用者さまの さま にとても違和感を感じます。
5
身内の人間が認知症になり、現実に直面する事態になりました。認知症関連の番組を見るにつけ、その介護現場のシビアさを目の当たりにすることになりました。肉親ではあっても、私ならブチ切れていたかもしれない。ましてや、他人なら、思いました。
「費用」と「介護」をコスパという秤にかけている限り、根本的な解決には程遠いと思います。「少子化」も根っ子ではつながっています。介護の未来は、相当に暗いですよね。
最近、「姥捨て山」って、結構合理的なシステムでは、と、思ってしまった瞬間がありました。誰かを捨てる、ではなく、自分が捨てられたい、というような。
5-1
youさんが言われたような状況になっても寿命まで生きたいとは私も思いません。
ただ、個々人の死生観はできる限り尊重されるべきと考えます。
そこには、個々人が信じる宗教の問題もあります。
たとえばキリスト教信者の中には、安楽死は自殺であり自殺は自分に対する殺人であり、どんなに苦しくても、神が与えた命を奪ってはならないと考えている人たちがいます。
そういう人たちは、死ぬより生きている方が楽だから生きていたいというのではなく、安楽死は神に対する罪だからという理由で安楽死を否定します。
日本の社会では極めて少数派ですが、そういう人たちもいます。
そして、そういう価値観の人は、その価値観に基づく一生が送れるような世の中が望ましいと思うのです。
今のように、長生きしたら、ほぼ間違いなく悲惨な状況になるというような社会は、やはり変えていく努力が必要なのではないかと思うのです。
5-2
コメ主さんの言うこと、とても理解できます。私の親も認知症なりかけ状況です。かろうじて親族が見ていますが、これを他人がやるなんてとても考えられない。でも、介護士の方々はそれを仕事だとしてもしっかりとやってくれる。感謝しかない。現代の姥捨て山、個人的には必要だと感じています。私自身もそうなったとき、姥捨て山に行きたい。希望もなく生かされ、他人に迷惑をかけ続けるなんて到底浮かばれない。だからこそ、安楽死を選べるという選択はゆくゆくあってもいいんじゃないかと感じています。

5-3
nnnさん、真摯なコメント、ありがとうございます。
私たちは自ら選んで生を得たわけではありませんが、だからと言って、死についての選択肢がない、わけではないとも思います。
けれども、こうした選択は最後の最後の最後にしたいですね。それまでお互いに、生の喜びを味わい尽くしましょう。もうちょっと頑張りましょうよ。
5-4
>長生きしても悲惨な思いをしなくてすむ社会にできないか
何をもって悲惨と感じるか
って話のような。頭と身体がしっかりしてる時点で、将来は寝た切りでも快適に世話してもらえるからとことん寿命まで生きたい
と思う人っているのかな
自分の孫子も分かんなくなって、おむつしてベットで100歳の誕生日に頭に花飾り付けて貰ってにこにこしてる自分を想像してほのぼのする人、いる?
5-5
安楽死に関してですが、もし最後まで穏やかに暮らして天寿を全うできる環境でも、長生きはしたくなくて、ある程度の年齢になったら安楽死をしたいと思うのでしょうか。
それとも、長く生きると邪魔者扱いされて虐待されたりして死んでいかなければならないのが目に見えているから、仕方なく、そうなる前に早く死にたいと思うのでしょうか。
前者の場合なら、それはその人の人生観、価値観なので、なんとも言えませんが、後者の場合は、何が何でも安楽死したいわけではないけど、長生きすると悲惨だから安楽死を選ぶということなので、そうであれば、まず、長生きしても悲惨な思いをしなくてすむ社会にできないかを考えるべきではないでしょうか。
そりゃあ老人をこの世の中から一掃してしまえばこの記事のような問題はなくなるでしょうが、本当にそれでいいのかという疑問は残ります。