「残念だね……」と惜しむ声しきりだ。東京・築地市場の移転に伴い、市場内にある牛丼の「吉野家」1号店が10月6日で営業を終了。59年の歴史に幕を下ろす。
国内1205店、米中など海外829店(2018年8月現在)の“原点”が消える。
紆余曲折はあった。
吉野家は1899年、東京・日本橋にあった魚市場に個人商店として誕生。1926年に関東大震災で魚市場が築地へ。それに伴い、同店も移転したが、
45年の東京大空襲で店舗が焼失。戦後すぐに屋台で営業を、2年後の47年に築地市場で店舗営業を再開した。
58年に法人化。翌59年から数十メートル離れた現在の場所に店舗を構え、1号店と位置づけられ、現在に至る。
2004年に牛海綿状脳症(BSE)問題で米国産牛肉の輸入が禁止され、全国の吉野家から牛丼が消えた時も、1号店だけは国産牛を使用して提供し続けたという“伝説の店”だ。
ちなみに、海外1号店は75年の米デンバー店。「ビーフボウル」と銘打った。
それはさておき、今度は“魚市場”が豊洲へ。10月11日に開場する豊洲市場にも新店舗ができるが、吉野家HDの広報担当者はこう言う。
「1号店はなくなる、ということです。2号店は68年の東京・新橋店になりますが、現在のSL広場にあったので、今はもう残っていません。
同じ場所で営業を続けている(1号店の次に)最古の店? 実はデータが残っておらず、はっきりしたことが分からないんです。都内で言えば、大森か目黒あたりでしょうか……」
■吉野家HDの広報担当者に聞くと
残念な話だが、1号店に対する思い入れが強い一部のファンの間でささやかれているのが、「店長はどこへ行く?」。
築地に本社がある朝日新聞(9月19日付朝刊)も「(1号店店長は)何百人もの常連の顔と『いつもの注文』が分かっている。毎日、同じ椅子に何も言わずに座るだけで、同じ品が出る」と報じた“プロ”だ。
「1号店は味にうるさいお客さまも多く、高い技術を持った社員が店長に就きます。通常1年半~2年で異動しますが、現店長の異動先は(20日現在で)まだ決まっていません。検討中です」(前出の広報担当者)
日刊ゲンダイの記者も平日の午前に1号店を訪ねてみた。常連とおぼしき男性客たちが黙々と“吉牛”をかき込んでいる。観光客でごった返す場内の有名すし店とは対照的だ。並を注文。いつもと変わらずうまい。“明日はホームラン”か。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180925-00000005-nkgendai-life
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