付き合う友達を校則で禁止するなど、私権制限をかけるという明らかな憲法違反であると思う。管理側の大人の理屈だけでこんな馬鹿げた校則が許されていいはずはない。こんな学校なんてもう行かなくてもいいんじゃないか。
他校生と交流禁止 謎ルールの背景#Yahooニュースhttps://t.co/bqEaHbE8ct
— 川本賀久 (@kawapon8) November 16, 2022
ネットの反応
この記事で大事なことは実は最後の部分。こういうルールができた背景はトラブルが起きたら学校の内外を問わずに解決を学校に任せてきたことが原因にある。
学校と関係ないことも解決を求められるなら、過剰な制限を課してでもトラブルを減らしたいと思うのはある意味仕方ない。
謎ルールを廃止するためには子ども、保護者、地域と「子どもに関するトラブルは学校に…」と任せてしまわないことが必要。
昔の中学校なんかは、万引きした生徒を親への連絡ではなく、直接学校へ連絡されて、店に引き取りに行ったりしていたりしたようだ。学校外の事は、越権行為になるってことが大前提になるなら、教員の責任範疇は、本当に減って助かるとは思うが、そうはいかないのが現実のようだ。何か事件が起きたら、必ず学校の対応が求められるのも事実。
難しいし、杓子定規にはいかない。
流入人口が多いと、子供も落ち着かず、いろいろのトラブルが起きることがあります。
私(江戸川区在住)は50年くらい前(中学3年でした)、流入人口と生徒の補導数を調べたことがありました。その当時は、荒川区、足立区、大田区の工場地域に流入人口が多く、補導生徒数も多かったことを覚えています。
この記事にある2、30年前は、江戸川区への流入人口が多く、生徒の落ち着きもなかったのかも知れません。
その影響からなのですかね。江戸川区の一部のエリアから都心部公立小学校に越境入学する「枠」みたいなものが生まれたのは。
小学生が減少していた千代田区になぜか江戸川区の特定エリアから毎年入学してきていました。(その後マンションが増えて人口増加、震災の発生などもあり今は廃止のようです)
なぜ隣接区ではなくて江戸川区からなのかと不思議に感じていました。
過重労働などによって教員の負担が増えた結果,こういうルールについての理由を話せる大人が減ってきているように思うんだよね。
学校と親と地域と連携できるように何かしたほうがいいんだろうけど,まとまらないな…
「他校の生徒と交流しないように」ってのは言われてましたね。
中学の時に他校の不良グループが乗り込んできて一触即発になったの思い出しました。
陰キャオタクの僕は心の中で「そんな漫画みたいな」「学園ドラマの主人公じゃん…」「どうやったらそんなイベントが発生するんだよ」「青春すぎる」とカルチャーショックでした。
「○○校の○○が乗り込んできた」「○○に用があるらしい」とかいう会話を聞きながら「2次元に逃避しすぎて自分の頭が妄想を始めたのかな」って思うレベルでした。
僕の立場は完全部外者(描写もされないレベルのモブ)だったけど、乗り込んできた不良グループは教師らに追い出され、特に暴力事件に発展するようなことも無かったので、漫画みたいな展開にちょっと浮足立ちました(他人事)
学校に解決を求める周りも問題だけど、
子供のためを思ってか警察レベルの事件でもなんとか学校内で解決しようとしちゃう先生たちもいるよね。
私の出身中学も不良校で、先生たちも他行とトラブルがないか、定期試験後など早い時間の下校日は放課後パトロールとかされていました。大変だったと思います。
学校って本来勉強を教える場所でしょ、それが何故か生徒の行動を司る機関になってんのね。良く考えたらおかしな事だ。
こう言うのってさ、普通は番長同士で決めるんだ。周りは手を出しては駄目。勿論素手で。負けた方の子は勝ったほうの子に会ったら「おいっす」と挨拶すること、それで良い。
問題を起こした当事者に一生陽の目が見れない位のペナルティを与えれば良い
昔は悪るさしてたけど今は、なんてあったらダメだよな
PTA及び生徒会という仕組みが有るのに、実際に校則についてPTAや生徒会で話し合うという機会は無いし、生徒が議題に上げても取り上げられることはほとんどない。
時代と共に価値観も、法律も社会制度も変わるのだから、適宜見直しをしないと、現実と乖離した規則ばかりになる。
中には法律に反するような規則が残っていることも有る。
規則は定期的に見直すように、制度として取り組むよう、文部科学省の指導要領に加えるべきだと思う。
江戸川区の行政には臭い物には蓋、汚物の前は素早く通り過ぎる、危険なものには近づくな的な一面があるのは事実である。なので非常に全体主義的で、なんでも行政主導で条例化してゆく側面が存在する。なんというか共産党と公明党と自民党がそれぞれやりたい放題で、いちいち生活の部分を侵しており、条例全部を知ってしまうと個人として生活するには非常に居心地が悪いですよ。
現実的にサッカーとか野球とか、クラブチーム単位で河川敷で活動してるじゃん。
廃止、あるいは他校とケンカするなと書きなおせばいいだけですね。
みんな面倒だから変えないんだよね。
間違いなくケンカになるから止めといた方がいい。
ハフポストの人はご存じないかもしれないが、江戸川、江東、足立、葛飾、荒川、台東、墨田といった下町地域では、中学校同士のケンカが多いんですよ。中学生で893の仲間入りをするヤツもいる。芸能界にも、この地域出身で元ヤンと言われる人がいるでしょう。「他校の生徒と交流禁止」というのは、「他校とケンカするな」という意味です。他校の生徒と仲良くしている分には、全然問題ない。
最近、おかしな校則がよく炎上するけれど、
この記事の内容はほんと大事だと思う単に、校則がおかしい、当時この校則を作ったやつはなに考えてんだ、みたいなのは違うと思うんだよね
もちろん当事者の10代の生徒は知らないわけでそう思うのは仕方ない
でもおかしな校則でも当時にはそれなりの理由があったわけで
それを大人が説明できないといけないんだよね
子供と一緒になって「校則おかしい!学校おかしい!」って騒ぐ大人は残念だと思う
現在の知識や情報で、過去のことを裁こうとしても意味ない
現代に合わなくなったものは現代にあわせて更新していけばいいし、
なくなる校則もあれば逆に増える校則もあるだろう
きっとその中には50年後の生徒からしたらおかしい校則もあるかもしれない
その理由に面倒は避けたい、自分たちの利権
とかが入ってくるから変なものができるそもそも規則は理由があって作られます。
しかし、時代や場面でその規則が当てはまるのかというと、否定的になる部分もあるでしょう。
一番良くないのは、規則を知っていながら、その理由を考えない、考える余裕のない職場環境だということ。
教師の職場環境を改善し、校則を考え直す機会を作らないことが最大の問題だと思います。
そもそも規則は理由があって作られます。
しかし、時代や場面でその規則が当てはまるのかというと、否定的になる部分もあるでしょう。一番良くないのは、規則を知っていながら、その理由を考えない、考える余裕のない職場環境だということ。
教師の職場環境を改善し、校則を考え直す機会を作らないことが最大の問題だと思います。
>校外で起こったことは学校の責任じゃないけどな。
それでも自分のところの生徒ではあるから対応せざるを得なかった。だったら、交流禁止にすればトラブル減るよねという安易な校則ではあると思う。そういうやり方よりも、校外のことは学校が関知しないってすりゃいいんだよね。概ね同意できるんだけど、最後の校外の事は学校が関知しないって件は少し違くないか?
その学校の生徒である事がバレれば、その学校の他の無関係な生徒に誹謗中傷なんかの被害が及ばないとも限らないでしょ?
勿論、問題の生徒を学校が処分すれば良いんだけど、その他の生徒が問題の生徒かどうかなんて校外の人間にはわからん。
だから、学校側としては無関係な生徒に被害が及ばない為にも問題自体を起こして欲しくないってロジックもあると思うよ。
要は、「学校と生徒」と「学校及び生徒と学校関係者以外の人間」との関係性って事。これも少し踏まえないとだめだと思う。
このルールは今でも大事ですよ。
重要性は更に高まっています。
SNSで簡単に繋がり、トラブルを起こす。
親が解決能力がないので(正確には、解決能力がない
親の子供がトラブルを起こしやすい)夜間や休みの日の
トラブルでも学校が解決せざるおえない。
だから、極力交流をもたせない。と言っても、部活や地元のクラブチームや塾で
交流は普通に行われています。
最近よくある悪い交流は
大型スーパーの駐車場などで
複数校の生徒がたむろしている。
というのがありますね。
自分が中学の頃はまさにドンピシャの時代で、千葉県から湾岸沿いに東京の一部まで、中学高校は校内・校外ともに暴力事件が多かった。
特に喧嘩などしない普通の生徒でも、他校のヤンキーに絡まれることが有ったので、あの校区には近づくなという注意喚起などもされていた。
中学校の先生なんて、生徒から舐められないようにするためにリーゼント&サングラスをしていた人も居たくらいだ。
今はもう学校を中心とした勢力争いなんて時代じゃないが、それでもルールが残っていたのは、中止にしたことで問題発生したときに責任を取りたくなかったからだろうな。
時代にそぐわない規則は改定すべき。
学校側は何でもかんでも責任を追及されるから保険の為に厳しくしがちだけどそれは教育上もよくないし、ともすれば人権侵害にもなりうる。
最低限のルールのみを残すと同時に学校外のことに関しては知りませんと教育委員会と共に突っぱねるようにしないと。
そうしていかないと時代錯誤のルールで抑圧を受けるのは子供達だし、甘えた保護者は全部学校のせいにする。変えていかないと現場の職員や子供達が可哀想だし、どんどん崩壊していってしまう。
まぁ、少なくともルールを制定してる側がその理由を把握してないと説得力が無い、というのはありますよね。かなり昔の事ですが、とある全寮制の学校では、プライベートでの私服禁止、指定のジャージを着用…という妙な話がありましたねぇ。
もちろん生徒側からは反対する意見も多かったようですが、そこは代々、交渉してきた人間がいたのか、今では完全に私服OKになったそうで…。
>つまり騒ぐ必要がないわけではない>おかしいって騒ぐことが更新のきっかけになるんでは
ここで言いたいのは、おかしな校則に対して
騒いだり声を上げるのがおかしいということではなく、
本来なら子供を導く立場にある大人などが
脊髄反射的に同調しているのが残念だと言うこと
同じ意見を言うにしても、一歩引いてみたり、
過去の事情や歴史を考えて伝えていき、
その上で校則を変えていくサポートをすべきだと思う
理由あってもそれはルールに基づいてやるべき。
記事内で専門家がそういう権限はないって言ってるけど、そういう制限を学校として出したいなら政治家に働きかけて法整備するなりしてその権限を得てからやるべきだった。
学校にとって何かあると面倒だから作った校則っていうのがたくさんあるからね。まず第一に子供の行動については、学校の外では親の責任とすべきで、学校が責任を取らなければならないという考えを変えるべき。
学校関係者からの意見としては、他の方々もコメントしていただいている通り、昔の生徒指導が大変だった時代の限定的なルールを取り上げて「人権侵害」ととらえてしまうことは問題かと思います。あとは保護者の方も何かあれば率直に学校に問い合わせればいいものを、すぐに教育委員会に尋ねるのも…と思います。(もちろん、学校との関係が良好でないからこそなのかもしれませんが)
学校側も積極的にルールなどを見直しアップデートすることが必要だと思います。
それ以上に必要なの家庭、地域、社会が学校に求めるものをきちんと見極めてほしいです。学校の制服やジャージで何かあったとしても学校だけでなく、必要に応じてその子どもの家庭、警察や関係諸機関への連絡が第一だと理解していただきたいです。
家庭の問題を教師に丸投げされれば学校も自己防衛するしかなかろう
こんなの家庭教育での話
それが出来ていないのが問題子供はある程度自由に、しかし現代は色々複雑になっているから家庭で十分教育や目を届かせておかないといけない
あまりにも縛りすぎると子供ならではの判断が出来なくなってしまう
しかしそこを野放しにしても事が大きくなってしまうので様子を見ながら大人が適宜介入するのはとても大事
しかしそれを学校に任せるのではなくそれぞれの家庭と場合によっては警察含めてで対応すべき
事勿れは結局遺恨を残します