もともとは遊撃手志望、“二刀流”目指すも夢破れる
今月25日に開催されるプロ野球のドラフト会議。2年前、プロで活躍する自信が持てず、上位指名を条件にして指名漏れを経験した投手が、満を持して運命の日を迎える。日本通運の生田目翼投手だ。
生田目は流通経済大3年春には最速155キロを記録したが、その後は怪我に苦しみ、復帰できたのは4年秋。万全な状態ではなかった右腕は、2年後の上位指名を目指し社会人野球に進んだ。
茨城・水戸工では遊撃手と投手を兼任。卒業後は「ショートもやらせてもらえるから」という理由で流通経済大に進学した。
「もともとバッティングが好きだし、華があるので、大学でショートをやりたかったんです。色々な大学を回ったのですが、流通経済大はピッチャーとショート、両方やらせてくれると言って下さったので選びました」
しかし、二刀流の夢は入部早々に破れた。
「周りのレベルが高く、自分の満足できるプレーができませんでした。高校までの感覚で行ったので、現実を見せられました。ノックを受けて、その後にピッチングをやるのもきつかった。二刀流は大変でした」
高校時代から145キロの速球を投げていた生田目は、それから投手に専念。「球が速い方が打者を抑えられるから」という理由で球速にこだわっており、松坂大輔(中日)や斉藤和巳(元ソフトバンク)の動画を見て、プレートの使い方や足の出し方を研究。高校入学当初は130キロ台前半だった球速を、試行錯誤しながら伸ばしていった。
故障に苦しんで自信持てず、プロ入りに“2位縛り”の条件つける
大学でさらに球速を上げ、6勝0敗の成績を挙げた大学3年春のリーグ戦では最速155キロを記録。チームの優勝に貢献しMVPを獲得した。その勢いは止まらず、全日本大学野球選手権大会でもチームを準優勝に導いた。しかし、この時注目されたのはその豪腕だけではない。「地元に戻って公務員になり、のんびり暮らしたい」と発言したことが、マスコミに大きく取り上げられたのだ。
「それまでは打たれてばかりだったので、プロは別次元、テレビで見る世界でした。自分がプロに行けるなんて考えたこともなかった。なので、さらっと言ったつもりだったのですが、新聞に大きく載せていただきました(笑)」
しかし、3年秋に肘を、4年春には肩を痛め、ほとんど投げられない日々が続いた。復帰を果たしたのは4年秋のリーグ戦だった。
「初めての怪我だったので、自分でも驚きました。病院では、重症じゃないと言われていたので『ちょっとすれば治るだろう』と思っていました。ただ、肘が治ったときに、焦りもあって完治する前に早めに上げてしまって、今度は肩が痛くなって……」
もともと、レベルが違うと考えていたプロの世界。この怪我もあり、プロに行けたとしても、活躍する自信がなかった。そのため、プロ志望届を提出したが「2位以上でなければ行かない」という条件を付けた。
「大学の監督と話し合って決めました。上位のほうがチャンスをもらえると、周りの方たちからも聞きました。プロで挑戦するんだったら、チャンスをもらえる位置にいたい。2位以下なら日通で2年間やって、2年後に上位を目指そうと思いました」
結果は指名漏れ。それでも「2位縛り」に後悔はないという。
「怪我もしたし、2位縛りもしていたので、期待はしていませんでした。でもどこかで『あるかな』という気持ちがあったので、残念な気持ちはありました。でも、後悔はありません」
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181024-00234651-fullcount-base
ネットの反応