本の町、神保町。かつては路地路地に猫が歩いていたこの町でも、時代と共に外猫の姿は消えていきました。町の人々に愛されて長生きした喫茶店の外猫。そして今もひっそりと生きる路地猫。二つの物語をご紹介します。

本をかじるネズミ除けのために、古書店で猫が飼われることが多く、平成初めまでは路地猫も多かったという東京神保町。その町の片隅で、下村幸雄さんは、奥さんの東美さんと共に、「プリマベーラ」という喫茶店を続けてきた。「33年前、ここで店を開いた時は、周りに路地猫がいっぱいいましたよ。

ミーコに出遭ったのも、すぐ裏の鰻屋の前。平成6年頃だったかな。まだ若くて、器量よしだったなあ」

おやつの差し入れでなついたミーコは、店を突き止め、引っ越してきた。店でも家でも飼えないので、夫妻は店の脇に寝床小屋を作ってやった。朝、マスターが出勤すると、ミーコが店の前で待ち構えている。そして、自転車の前籠にひらりと飛び乗るのだ。

「ふたりで町内ツーリングを楽しむのが、ミーコの若い頃の日課でした。『ミーちゃん、おはよう』って、あちこちから声がかかってね。平成前期の神保町には、まだまだのんびりした雰囲気がありましたねえ」

ミーコは賢い猫だった。ひとりで散歩に出かける時も、右を見て、左を見て、また右を見て横断歩道を渡るのだ。大型犬が向こうからきても、カラスたちに囲まれても、全く動じない肝の据わった猫でもあった。

毎朝、通る人たちに牛乳受けの箱の上から「にゃあ(おはよう)」と声をかけるミーコは、界隈の人気者だった。

最後の大冒険
ミーコは、ゆっくりと年をとっていき、やがて遠出もしなくなった。向かいに建ったビルにひなたぼっこの場所を奪われた後は、店内の片隅に置かれた箱ベッドで寝入ることが、いつしか多くなった。店先の木陰に移した頑丈な高床小屋で、夜は眠った。

去年の4月5日のこと。朝からいくら探してもミーコの姿が見当たらない。

24歳を過ぎ、片目は白内障で、耳も聞こえなくなっているから、そう遠くには行かないはずだ。

「横断歩道を渡っていた」という目撃情報が入った。なんと、幾つかの通りを渡って、ずいぶんと離れた大きな交差点である。さらに通りを渡った食材店から「通行人に撫でられていた」との裏通り情報も。自転車で駆けつけるマスターは、ふと、いつもは通らない近道をした。物陰から「にゃあ」という声がかかった。

「やあ、ミーコか!」

懐かしい自転車の音を、聞こえなくなった耳が聞きつけたのだ。目撃情報より店に近い路地だったから、家をめざす途中だったのだろう。

久々の町内ツーリングで衆目を集めながら帰還するや、ミーコは猫缶3つをぺろりと平らげた。


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ネットの反応

1.
こういった記事は好きやな。(^-^)
2.
猫にしてはとても長い一生を、多くの人達に可愛がられて幸せでしたね。
でもこのご夫婦が話しているように、猫に関わった人間のほうが幸せな時間を貰っているのだと実感しています。
3.
外猫、餌やりなんかに意見があるのも分かるけど、こういう記事の時くらい黙っていても良いのではないかと思う。
4.
25年という四半世紀に及ぶ時間を移り変わりの激しい神田神保町をウォッチしてきたミーちゃん。
飼い主さんの前にふらりと現れたも、それは「わたし、この町を見守り続けていくから、一緒に暮らしてね」との守り神が姿を変えたものだったと思いますね。
学生街からビジネス街へとめまぐるしく変化しても、そこを行き交う人の波は変わりません。
仕事で落ち込んだり、打ちひしがれたりしても、「にゃお」というミーちゃんからの挨拶だけで、そんな気持ちも吹っ飛んでしまったことでしょう。
今では星になったミーちゃん。けれども彼女は生きている頃から「ご近所の星」としてみんなを温かく見守り続けていたね。ありがとう、ご近所の星さん。
5.
路地裏で25年か・・・長生きしたと思う。幸せな猫だなぁ。
平成も終わるからと、神様から天国にいるかつての神保町の仲間たちを癒してほしいと頼まれたのだろう。
ミーコは、神様に「にゃあ(そうだね)」と快諾したのだと思う。
6.
読んでいて 町中の人々に 癒しを渡してきた話に 思わず涙しました。
『ミーコ』ちゃん、お疲れ様でした。
そして お世話されたご夫婦、『ミーコ』ちゃんの分も 長生きして下さい。
7.
いつまでも人間と野良猫が共存していければと思う。
8.
今の猫は避妊だ去勢だで幸せなのだろうか。
ペストが起きなければいいが。
9.
野良で25年は凄い。
10.
野良猫なのに25年も生きたって凄い!
ミーコの周りの人達の優しさがあっての寿命だったんだね
心温まるお話です。
11.
心に染みるお話でした。
家の近所も一昔前は猫がのんびり日向ぼっこしたりお散歩するのを声掛けながら散歩できたのに、今ではすっかり住宅事情も変り猫も室内飼いがメインになりたまに見かけると希少な動物を見つけたように嬉しい気分になります。
住宅が増え交通量も増え猫が住みにくくなった場所は人間にとっても住みにくい場所なのかも?
うちの猫も外に出たそうにしますが密集した住宅地では迷惑になるかも知れないし、猫にとっても病気、交通事故、虐待と心配の種は山ほどあるのでもう外には出せません。
12.
昔はうちの辺りはノラ猫がたくさんいて猫はお金を出して買うものではなく拾ってくるか、人からもらうものだった

今ではノラ猫なんて全く見かけない
近い将来雑種は絶滅してしまうのだろうか

13.
マンションで犬猫会にも入らず、猫を放し飼いにするのはどうかと思うが、野良猫との区別は難しい。
動物愛護は大事だが無責任な餌やりはどうかと思う。
そのあたりも考えた記事がよかった。
14.
25歳ってスゴイ長生き!
15.
先日歌舞伎町でとても大きな鼠が自動車に踏まれたであろう姿で道路の真ん中で死んでいた。今までに見た事がない大きさのとても大きな鼠だった。
鼠は下半身だけを踏まれ、尾っぽの付け根から腸や内蔵が噴出していた。前足は今にも動きそうにアスファルトの地面をかみしめていて、頭もしっかりと前を見ていた。
年末に界隈から多く出た御馳走をたらふく食べたであろうこの大きな鼠は、翌新年3日目にしてあの世へ行った。
2回目に現場を通った時には、誰かに蹴飛ばされたようで、道路の端に仰向けで転がっていた。とても可哀想に感じたが、何もする気にはならなかった。
今日生きてた者が明日生きてる保障はない。

多くの野良猫の10倍以上生きられたのは、周りの人に恵まれたからなのか、持って生まれた素性なのか。
鼠も周りの人に恵まれて欲しい。


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16.
ミーコ(´・ε・???)
17.
25年はすごいよ。家の猫は15年半で一昨年亡くなったから、20才までは生きて欲しかったから、今でも心残りだよ。でも猫の平均寿命は15歳らしいから長が生きだって獣医が言っていたけどね。
18.
心優しい人達が住んでいる町なんだね。
素晴らしい。
19.
東京の密集地で自由に長生きしたネコちゃんのいいお話。しかし今の日本は「絶対室内飼育」「外で餌をやるな」とネコにもヒトにもギスギス劣化したもんだ・・
20.
ほのぼのさせてくれる記事です。久しぶりにホッとしました。
21.
うちは20歳で亡くなりました。
もっとしっかり生きてもっと優しくしたかった。
22.
幸せなネコですね。
23.
20年を超える大往生と
愛され最期を迎えられたのは
良かった。

でも、その話で美化されてるが
飲食店の猫はNGです。

猫は嫌いではないのに
目にアレルギーが出てしまう。
自分なら二度と行かない。

24.
25才は桁違いだね。
お見事です。
25.
人間でいうと100歳超えの本当に大往生だね。こういう猫って、もう、神様が人々の癒しのために遣わした使者だったんじゃないかって思ってしまう。安らかにお眠りください。
26.
猫は地球が生んだ奇跡的に可愛い生命体。
27.
うん。よい記事だね。
28.
25年・・長生きだね。愛されて育ったんだね。
29.
こんな物騒な世の中だけど、ほっこりに泣けた。
30.
都内でこのような地域猫との触れ合いあると知ると、私の住む地域はなぜ地域猫に冷たいのか哀しくなる。
この話が感動的であるが故に。
私の住む地域では私と斜め向かいの有志の方以外はほぼ殺処分派だ。
今では保健所も余程の事がない限り捕獲にも来ないが、猫がいればホウキを持って追いたてる。
猫が何を悪戯するでもないのに。
せめてもの言い訳のために自費でTNRを施す。
人慣れできる子は一時預かり、里親を探す事も家族全員でやる。
それでも近くにある神社に猫を捨てに来る人は後を絶たない。
1度は目にした時に注意もしたが、逃げるように去っていった。
どうみても血統書のついたような猫だったが、今はうちにいる。
なぜ人懐っこいような大人しい子まで捨てるのか?
同じ命ではないか。
私には理解できそうもない。


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