東日本大震災で1万8000人以上が犠牲になった岩手、宮城、福島3県の被災自治体で、公設慰霊碑に亡くなった一人一人の名前を掲示する取り組みが進んでいる。沿岸37市町村のうち16市町が既に犠牲者名を明記した碑を建てたか、今後の建立を予定している。
自治体による碑の建立状況は表の通り。いずれも遺族の意向を確認して名前を刻む。遺族感情に配慮し、追加や付け外しが随時可能な銘板形式もある。
多賀城市は銘板をモニュメント内に安置して年1回、3月11日に開示する。市は「お墓ではないので、常時公開は考えていない」と説明する。宮城県南三陸町も碑の内部に死没者名簿を納める予定だ。
犠牲者を分け隔てなく弔いたいとする自治体も多い。
石巻市雄勝総合支所は地元出身の犠牲者も受け入れた。宮城県女川町は亡くなった母親の隣に胎児の名前を刻む。福島県新地町の碑は親を助けようと隣接市から駆け付けて犠牲になった子どもの名前も記した。
震災関連死の取り扱いは対応が分かれており、相馬市や福島県浪江町は地震や津波の犠牲者に限定した。
一方、関連死を含めて1760人が犠牲になった陸前高田市の碑には個人名が刻まれていない。市幹部は「デリケートな話であり、他の自治体の例を参考にしたい」と話す。
阪神大震災の被災地神戸市は、慰霊モニュメントの地下に犠牲者名を掲示する空間を設けている。犠牲者名板は毎年のように追加され、現在は計5012人の名前が掲げられている。
犠牲者名の追加決定は2003年以降、NPO法人などで組織する運営委員会が担っている。全ての震災犠牲者や、家族の犠牲が原因で過度に飲酒して体を壊して亡くなるなど関連死に扱われないケースも掲示の対象とした。
運営委事務局のNPO法人「阪神淡路大震災1.17希望の灯(あか)り」は「いまだに気持ちが癒えなかったり、追加掲示できることを知らなかったりする遺族らもいる。犠牲者の名前を刻みたいと希望する遺族がいる限り、取り組みを続けたい」と話している。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190311-00000013-khks-pol
ネットの反応
心からご冥福を御祈り(おいのり)させて頂きます。
あの日テレビに映る被災地を見ながら、何も出来ない自分に無力感を感じました。
雪が舞う中、着の身着のまま逃げた被災地の方々。まだ復興は完全では無く、月日だけが過ぎています。
ちゃんと被災地に政治家は向き合って欲しい。
あの日の事は、今でもハッキリ憶えてます。
犠牲になった方々の御冥福を祈ります。
めちゃめちゃ悲しい!
二度とこういう大惨事にならないよう防災のためにできるだけのことを住民も自治体、企業(特に原発施設)は対策をとることだ。
南海トラフや首都直下地震など起こることを想定した対策対応が求められる。日本列島は地震列島であることを自覚しなければならない。
慰霊碑?
あまり意味がないと思う。
そもそも江戸時代、もっと昔から大きな災害があった場所には、そういった碑があったが、そんなもの無視されてきた。
数十年はいいが、100年も経てばすっかり忘れ去るのが、人間。
そうして、戦争も繰り返されてきた。
映像、文書、言い伝えとして残しても結局、軽視され、同じことが繰り返される。
歴史の必然でしょう。
もう8年か・・
自分が41歳の時だったな・・
こうして10年、20年と経つと風化していくのかな・・
早いな・・
自分は忘れない・・
大学のチームメイトが津波に飲まれて、もう8年もたつのか・・
朝の大雨といい、しんみりしてます。
お幸せを
祈ります。
8年前のあの日を風化させてはいけない。
ご冥福を祈ります。
毎年震災関連死亡としてあれ以来死亡者銘板を増やし続ける神戸市は
25年前の市民数155万の死亡銘板を掲げるまで
頑張る勢いです!世界一の死亡者数を誇りたい勢いです
今の神戸市の姿勢はそんな風に思えて
住んでいるのが辛いです。
友人の友人が津波でお亡くなりになったと聞いた。 気丈に明るく振る舞っていた友人だったが、心中は穏やかでは無かっただろう。。
自然災害は自身にいつ降りかかるか分からない。 「今日1日を大切にしないとなぁ」と考えさせられた。
今日は北風も強く雨も冷たいが、あの日押し寄せて来た波に比べたら優しいし暖かい。 御冥福をお祈りします。
改めて心より、哀悼を申します。合掌。
これは被災者からの話だが、ペット連れにはとにかく酷い環境だった。車中や体育館の外など劣悪だったとのこと。
政府や自治体はそういう細かい配慮を考えなきゃダメだと思う。中には、犬を避難場所へ連れて行けないからと、倒壊した自宅へ戻る人もいたとか。
このような件も教訓にして欲しい。
これも個人情報の問題もあるから、何とも言えないだろう。
安い
安全
安心の原発は余計でした
この?が何百年も残りますように
気持ちは分からなくもないが、
まだ生まれてないのに名前が命名されてるんですね。
しかも生まれてないのに性別がわかるんですね。
一昔前ではありえない、科学も神の領域ですね。
本当に何を見聞きしても胸が詰まるし、今の自分などが無為に生きてしまってることすらも心苦しく、息苦しくも思えてなりません。
もうすぐ午後2時46分を迎えますが、いつもこの時間になると、あの時の記憶が鮮明に蘇ります。
1万人以上の方があの日亡くなったなんて今でも
信じられない、でも現実なんだなと思いしらされます。
宮城に生まれて、今までずっと住んでいますが、やはりこの時期はみんな8年前の話になります。みんなで話をして一人一人気持ちを整理するような感じです。
祈りを捧げるしかないできないけれど、今年も真剣に祈ろうと思います。
胎児も含めるのは大変良いことだと感じます。それだけに一層切なくなりますが。
お墓があるのに慰霊碑…
そんなものばっかり作ってたら10000年もしたらそこらじゅう慰霊碑だらけやな
二度と8年前に戻りたくない。
衆愚はくだらないコメントをして時間を無駄にしないで生産,納税にもっと力を注いでほしい
忘れちゃいけないこともあれば
忘れなきゃ前に進めないこともある
着脱式とは考えたな
原発がなければ助かった命があった事、今現在原発の為に生きていても自分の家にも帰れない人の事を忘れてはならない
よかったらYahooで3.11検索してください。
10円寄付されます。
口先では「気持ちに寄り添う」とか「被災された方の気持ちに立って」とか「なくなられた方に先ずご冥福を祈りまして」とか言うのは口だけ。そんな政治家・政府首脳が、テレビで恥知らずの大きな顔をしている。
九州の洪水の時は『赤坂自民亭』でスシパーティで宴会をしていた自民党、そのことも恥じず責任もぼやかして我関せず、そんな政府。
東京電力の原発爆発の時は、無能な民進党の総理・内閣の無能さが際だったが、その時自民党は何をしていたのだろう。結局の所、民進も自民も、公明だって災害時の対応が無能なのだ。
被災地の復興だって、年月が経っても未完成だし、放射能被害者の救済も打ち切るようだし、全く誠意が見られない。
「政府は出来るだけ尽力して対応にあたってる」というかも知れないが、全く国会・政府自ら復興に尽くそうという姿勢が見れず嘘くさい。
今日の紀年・祈念日も政府は形だけ、被災者を救済せよ!
ご冥福をお祈り申し上げます。
胎児は人間ではない。
人間ではないモノと同列に扱われる他の被災者の気持ちも考えて欲しい。
胎児の名前まで刻むのはやりすぎだし間違っていると思う。