「どうせできないんだから」 教師の人格否定発言、生徒が不登校に https://t.co/2P78VWm2Wm
先生の資質
指導できない学校
の問題だと思う>千葉県柏市の市立中学校で、特別支援学級の女性担任教師が日常的に大声で威圧的に指導し、2021年以降、2人の生徒が学校に通えなくなった。#htnews
— 発達障害のニュース (@2030mirai) December 29, 2022
ネットの反応
特別支援学級だからこそ威圧的な指導では、ますます萎縮したり精神的にダメージを受けるのではないだろうか。不登校になった生徒のクラスから別のクラスに受け持ちを変えても、そのクラスでも同じ指導をしていたらそのクラスの生徒も不登校になる可能性もあるのでは?特別支援学級を受け持つということは特別支援の資格を持っているであろうとは思うが、生徒が出来ないから強い指導、威圧的な指導をしているとあるが、それは正当なのだろうか?この教師が原因で生徒を不登校にさせたことは重大な問題だと思うのですが。このまま不登校やトラウマが続いたりしたら今後の一生を左右しかねないことだと思う。
主さんの仰るとおり。
昔ソーシャルワーカーをしていましたが、自閉症の子に対し大声で威圧的に叱るは完全にNGです。常識といっていいくらい。
叱るときには「いけないことを具体的に」「分かるように簡潔に」がセオリー。
大声で呼ばれても、単に「自分を呼ばれている」「大きな声出されて嫌だった」とマイナスの印象を受けるだけ。「何故か」が入らない。「こらっ」だけで済む健常児と比べ手間はかかりますが、だからこそ少人数の支援級で対応しているということを考えるべきです。
それを当の教師だけでなく校長も分かっていないようなのが致命的ですね。
例えばですが、この記事にあるように、授業中に歩き回ってみんなの邪魔をする子供に対して効果的な指導って何があるかと考えると難しいと思います。
一応、人に教える事で金を貰っているプロなんだから威圧的だったり侮蔑的な表現を使って生徒を縛るような指導をするような人物はプロ失格でしょ。威圧的や恫喝を一般的な会社でやればパワハラ、モラハラで即アウトなのを考えると教職連中は身内の処分に甘いよな。
>ますます萎縮したり精神的にダメージを受けるのではないだろうか。分かるし同意する。
だがしかし
うろつき、指導にも従わない生徒を放置も出来んし、後々呼び出すでは時間もかかるしで教師もストレスで壊れる。
この教師に「どうせまともに指導出来ないから廊下に出てろ」と怒鳴りたい。
自分がまともじゃない事に気がつかないくせに、何やってんだ?この教師。
特別支援教育には全く興味のない教員も多いですからね。
昨今さすがに必要だとは思っても、できれば教科的なことやいわゆる普通の教育をしたいと思う。
正直言って不本意にやっている人も多い。
また、この指導は問題だと思う。けれども、特別支援だけでなく生徒一人一人を見ていくことが求められるし、色々な状況の生徒に対応しなければならない。
しかし、能力や熱意、愛情もある教員も、あまりにも多様な障害やら状態の生徒が多すぎて、それぞれへの適切な指導を求められてくるといっぱいいっぱいになってしまうのでは。
教育への過度の要求を考えるか、手厚い指導のために人材やお金を投入するのか、いろんな人たちが考えてもいいと思う。
頑張って勉強して大学に行き、そこでそれぞれの科目を専門的に学んだ結果に特別学級に配属されたら、それこそ大学から教員採用試験まで必死こいて学んできた知識を活かせなくて心折れる人も多いと思う。言い方は悪いが、正直、特別支援の子供は幼稚園や保育園、介護の人材の方が上手く扱えると思う。
そもそも教師は子供の学問への道の途中にいるべき人材であって、子供の子守りの延長では無いことをもう一度認識するべきではないか?
特別支援学級にはそれ相応の専門を持った教師を育てるべきだと思う。
普通の教師になんでもやらせる現状ではそりゃこうなりますよ。
支援級、情緒級がある学校であってもどのクラスにも特別支援が必要そうな子が必ずといるので特別支援が興味が無いのに先生しようと思うならまず公立の先生には向いてないと思います。
子どもの為にも本人の為にもそうゆう方は公立の先生にならない方がお互い不幸にならないと思います。
自分が子供の頃は逆に少子化に加えて不景気による人余りもあり、教員が飽和状態でした。そのときの担任が「最近は教師になっても受け入れる学校が無く『仕方なく』養護学校に回されている先生もいる」と言っていたのを覚えています。今だったら大問題になりそうな発言ですが、当時は誰一人として問題視する者はいませんでしたね。常識や良識というのは時代によって変わるものだとつくづく思います。
教師を先生と呼ぶのはやめた方がいいと思う。
英語では教授はProf、医者はDr、大統領はpresidentなどの尊称で呼ばれるのは、能力が高い分、責任も重いからです。
アメリカでは教授になったり医者になるのはとても大変で、一部しかなれません。一方、教員は他の職業と同じようなもので、難しくありません。
だから一つの職業というくくりで、英語では教員はMrで呼ばれ、尊称はありません。
正直普通の能力なのに先生と呼ばれてしまうと、能力以上に期待されてしまい、不幸なことになる。
例えば市役所の職員が先生となると、期待してしまい、ミスとか行動に過剰な期待をしてしまうでしょう。
コメ主の言うように不本意で任につく教師が多いそうです。
この女性教諭の担任の年齢は公表されていないですが、60で定年を迎え再雇用のときに配置されることも多いです。
元に私の知っている人も定年後の再雇用を希望していましたが特別支援になると言われていましたね。
子供の頃にあたる担任で人生狂う子供もいるよね。
率先してよわい子供をイジメの対象にする先生がいる。
大人も一緒で自分が全て正しいと思い、少しでも違う考えを言うと否定して攻撃する人がいる。
人間て馬鹿だよな。
>特別支援教育には全く興味のない教員も多いですからね。今の小中学校でそれでは失格。退職近い人ならそれで乗り切るかもしれんけど
例えば中学校だと、当然特支学級の授業に行くから
小学校でも、通級で一緒に授業を受けたりする
>教師を先生と呼ぶのはやめた方がいいと思う。名前など全くどうでもよい。
>正直普通の能力なのに先生と呼ばれてしまうと、能力以上に期待されてしまい、不幸なことになる。
何の話ですか?ニュースと全く関係ない。
言いたいことがあれば、話の流れや論点を無視するタイプですか?
特別支援教育を担当するには教員免許とさらにその資格がいります。自ら取得する資格なので、やりたくないのにさせられる教員はまずいないでしょ。
通常級で使い物にならない教員が行くことが多いからね。
あえて特別支援の資格を取って行く教員はでつだけど。
介護や保育、障害支援などでは人手不足なうえに、色々な問題を抱えた人が多くなり、なり手も少なくなっているところが背景としてあると思いますね。
小学校教員の倍率も2倍を切っている自治体も多く、特別支援学級になるとさらに倍率が低くなっている現状がある。
スキルよりもコミュニケーション能力が高く、人当たりの良い人を採用することにしてはどうかと思う。スキルは後からでもついてくるが、支援にあたる教員が暴言を吐いたり、威圧的な指導をするようでは、指導された生徒だけでなくそれを見ている生徒も心理的に大きな傷を負ってしまう。
市教委は、大声や、圧的な言葉遣いによる指導を改めるように一度指導した
と言うがその背景に対して何の対策もうっていないのも問題だ。校長も廊下に出すことも体罰だという認識を強くもってもらい、教員を指導するだけで責任を押し付けず、市教委と連携を取って解決に乗り出すべきだ。
ちょっと前まで、皆と同じことが良しとされた。
教育指導要領が変わり、一人一人、個性として認める事になった。
本当にそれを実践するなら、生徒一人に教師一人が必要となる。文科省は教育の質を上げろと言うけれど、1クラスに3人のグレー生徒がいるのに、無理。現実的に無理。
さらに、保護者が普通学級を希望したら、普通学級に入れないとならない。
教師という職業は大変だと思う。
> 出来ないなら、嫌なら退職すべきです。それ言い続けてたら結局自分達に跳ね返ってくるけどな。
「嫌ならやめろ」という姿勢を通した結果、現実にファミレスや
コンビニなんかはどんどん人が足りなくなって閉業したり
時短したりしてる。このままだと学校でも同じことになると思う。
少なくとも今の労働環境では、自分の子供が教師になりたいと
言ってきたら諸手を挙げて賛成はできない。
どの仕事も大変です。
大変だからやらない。金と労力が釣り合わない。
出来ないなら、嫌なら退職すべきです。
生徒達は、教師のために存在しているのではありません。
生徒、教師が互いに不幸になります。
発達障害は児童ばかり注目が行きやすいが、以外に大人の方には注意が行かない。教員の中にも一定数存在しており、細かい指導をする教員は自閉傾向が強かったり、普段は温厚だが怒り出すと手がつけられない、いわゆるアンガーマネジメントができないDVタイプもいる。また、この記事のように体罰ではなく心理的に追い詰めるハラスメントタイプもいる。結局管理職サイドが適材適所を考えるしかなく、極力担任は避けて事務職を任せるとか、せめて副担任にとどめるなどの配慮が必要。あと、目に余る場合はカウンセリングを受けさせたり、心療内科への通院を命じる権限も今後は必要かと。拒否した場合は教務不履行を理由に学校から遠ざけることで児童を守ることが可能にする仕組み作りも必要かと。
社会には どんな職場や環境にも そういう人がどこにでもいて
そういう人たちを排除した社会をつくわけにもいかず
みんながみんな 生涯避け続けて生活が成り立てるわけでもない
お互い日常を送り コミュニケーションを取り合わないとならんのよね正直 メンタル教育やメンタルトレーニング を
教育科目に入れにないと ダメな時代になってきるのかもね
社会環境だけ変えて対応しても
その環境の中でしか通用も 生活もできない
日本人で溢れていくだかやで・・・
閑職などというものが少しでもあるのなら、どうしたらそういう人的な余裕が出てくるのか教えていただきたいものです。どんな人材であろうと頭数で配置される教員数は、法や条例で決まった数のみ。しわ寄せなんか、珍しくもなんともない。1日12時間以上勤務の中で休憩なしが一週間続続いたときもあった。日常的にストレスの続く長時間勤務中に、管理職から「アンガーマネジメントの研修を行います!」。怒りとため息と笑いをこらえるしかないです。閑職に回すという提案にも・・。
昔同僚の方にあきらかな方がいましたが、真面目なタイプでコツコツ勉強し、管理職試験に合格し、教頭となり移動されていました。
周りの教員は大変かもしれませんが、直接生徒に接するより良かったかもと思っています。
今の教育現場で、副担任や事務のみなんて言うのは特権階級(何か訳あり)の人だけです。
その分の皺寄せが他に行きます。
人を助けることができるのは、余裕のある人だけです。そうでなければ、共倒れ。
教員の発達障害率って意外に高いよね。
子供の担任でも発達障害が疑われる人が小学校6年間のうち2人いました。
でも教員不足らしいからどうしようもないんだよね。
たいていそういう教員は親からのクレームで退職ではなく移動させられる・・・誰かに厄介者押し付けて終わりみたいなかたちになってるだけなので何とも言えず。
大人相手だと自分が大変だから子供相手の仕事を選ぶ人もいるのかな?適応障害の息子さんが保父になると大学止めて専門行ったけど卒業前に止めた。他人は色々言えない。
>>その分の皺寄せが他に行きます。
無理矢理担任を持たせても、生徒間、保護者間トラブルを引き起こし、そのしわ寄せはまともな先生へと押し寄せる。だったら、何もしない閑職に置いておくのがお互いのため。
子供の人権は守るのに、教員の人権は守られとらんね。矛盾。
まあほら…その辺の公立学校に優秀な人材がいますかって話よ…
かなり勉強になるな