YouTuberのアダリア・ローズさんが、15歳で亡くなりました。
赤ちゃんの時に、プロジェリアと診断されたアダリアさん。
「何百万もの人たちの心に触れた」と家族が悲しみと感謝をつづっています。 https://t.co/M5CZNUgJCH
— ハフポスト日本版 / 会話を生み出す国際メディア (@HuffPostJapan) January 15, 2022
ネットの反応
この病気の方は利発な方が多く、自分の病気の事を深く理解していてそれが余計に辛いと思う。
以前よくTVに出られていたアシュリーさんとか、本当に一生懸命生きていたし発言もしっかりしていた。
この病気の治療法が早く見つかる事を願うばかり。
ご冥福をお祈りします。
なにもめてんだそんなこと彼女は気にしないだろ
この世に実体化している我々が何を残して影響を与えたかで姿は入れ物だ、つまり箱だ。
箱をあけたらダイヤモンドやクリスタルの人もいれば立派な箱なのに石炭や腐葉土が入っている人間もいる。
人生は長ければ良いと言うもんじゃない
誰もがどうせ消えていく
周りに何かを残したのであれば我々より意義ある人生だったと言える
人生はうたかたの夢幻のごとくなり
そうした自分に対し、誰もが心に余裕を持てるわけではないだろう。
メディアへ露出できるのは、その中でも取り分け出せる状態の人が選ばれているに過ぎない。
アシュリーはお母さんが再婚してボーイフレンドも亡くなって友だちとも距離ができて
なんかいろいろ見てて悲しくなったなあ
こんな話を聞かされる弁護士が不憫だな。
何罪で訴訟起こすつもりなんだ?弁護士って言葉をチラつかせて本当に訴訟起こさない場合は脅迫罪に当た
るから軽はずみに言わない方がいいし、最低限の知識もないのに簡単に弁護士だ裁判だって言うのは周りから冷ややかに白い目で見られるだけだよ。
とりあえず、ここ揉めるコメ欄じゃないくらい分からんかな?場をわきまえなさい。
そもそも利発な人間じゃないと表に出てこないだけ。
一部のニュースだけ見てそれを全体と見るのは悪い癖だよなぁ
原因はなんなんだろう、て
調べたりできないのかな差別とかどーとかの壁があるのかな
kameeee
弁護士は愚痴を言う相手じゃないよ
ken*****トロール人形がどんなものかもしらず、あれを一方的に不快なものと認識してるお前のほうがどうみても失礼で草
kameeeeのいう化けの皮云々じゃないけど、あんたの醜い心が露呈してるわ
>この病気の方は利発な方が多く、まぁ、偏見だよね、こういうのって。
プロジェリアっていうといつも
アシュリー・ヘギさんのボーイフレンド
同じ病気で亡くなった
ジョン・タケットくんの言葉を思い出します。「人生はどう生きるかなんだ。長さは重要じゃない。
こんな病気で、僕ってなんてかわいそうって思いながら
一生悲しいパーティーを続けるのか
それとも前に進み、人生を意味あるものにするのか
僕は自分の命を最大限に行きたい。」
彼の言葉、胸を打たれますよね。私も印象に残っています。この病気の方は、肉体年齢と同じく精神年齢の成熟するスピードも速いのか。もしくは過酷な運命を受け入れるなかで老成するのか。
亡くなられたアシュリーちゃんや、ボーイフレンドの方もとても素敵な方でしたよね。
彼の言葉にハッとさせられたのを覚えてます。そしてまた、このコメントを見ていて思い出しハッとさせられました。
ぼくはアシュリーちゃんの言葉。
人を外見でいう人にはこういうの「皮をむいたらみんな変わらないわ」って、でもそれでも、同じことを繰り返す人には何も言わないわ、だってそれは
「私の問題じゃなくて、相手の問題だから」が心に残ってますね。
本当にそうですね。生き物は必ず死ぬんですから。健康でもいつ死に至るのかなんて分からない。出来れば美しい生き方をしたいものですね。
すぐに全てが嫌になって逃げ出したくなる自分です。死にたくなることもあります。五体満足で健康なのに、恥ずかしい。
でも人間は体や心の強さも弱さもそれぞれだから…と言い聞かせて自分なりにやっていくしかない。
やっぱり産まれた時から、他の人より生きれる時間が短いと分かっていたら、生きる意味や生きることについて早くから考えるのかなと思います。
私は看護師をやっているけど、余命宣告を受けてそこから亡くなるまでの人の感情や恐怖心、言葉など多く聞いてきたけど、そういう環境にいると自然と人はいつか死ぬ、それは明日かもしれないし10年後かもしれないし30年後かもしれない。
だけど、ある日、突然に死を宣告されても、自分の余命を受け入れられる人生を毎日送ろう、何か迷った時は、最後に死ぬ時、自分が後悔しない選択はどちらか?とか、常に考えたりします。
考えすぎもよくないけど、ある程度いつかくる死と向き合いなが生きることは大切かなと思います。それは自分だけではなく大切な周りの人達とのお別れも同じです。
この言葉、ものすごく印象に残っています。
この記事を読んで改めて検索してみたところでした。
アシュリーもジョンも頭がよく本当にかっこよかった。
ドキュメントもう一度見たいな。
当たり前のように一日を過ごしている健常者にとって、ハッと気付かされる言葉です。とても心に沁みました。
コメ主さん、良い言葉を引用してくれてありがとうございます。
姉弟がずっと小児科にお世話になってたから大人になれない子供達と何人か知り合ったけど本人たちは凄く明るく日々を楽しんでたけど、自分が死んだ後の家族の悲しみばかり気にしてたな。
特にお母さんが悲しむ心配ばかりしてた。
言ってましたね。懐かしい。
思い出させてくれてありがとう。
プロジェリアの人たちは自分がかなり過酷な症状でも、人の事を常に思いやることや、やりたい事の夢を持って毎日生きている。死と隣り合わせなのに前向きに。見習わないといけないね。
何年か前に亡くなったアシュリーも、この方と同じく偉大な人に違いない。
200万人に1人は意外に多いとおもった
この病気の人皆んなが皆んなそうではないでしょ。他人を時には恨む人いれば、夢がない人もいるでしょう。偉大に違いない。という事もないと思います。だからといって駄目ではない。
人間なんだから当たり前。この人は素晴らしい人間性だったかもしれないけれど、「この障害を持つ人が人間として素晴らしい」というのは違います。障害者は聖人君子ではありません。健常者と同じ、ただの人間です。
障害者はみな人間性が素晴らしいまるで24時間テレビでも見てるかのようなモヤモヤ
YouTubeは功罪両方あるが
その功だな