3月2日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』では、野球解説者の山田久志さんが、放送翌日の3日に引退試合を行う中日ドラゴンズの荒木雅博選手について語りました。
荒木選手と言えば、井端弘和選手(2015年引退)と「史上最強の二遊間」と言われたアライバコンビ。
このコンビ誕生について山田さんが秘話を語りました。使ってくれた山田さんに感謝
若狭敬一アナによれば、引退する荒木選手は、今も山田さんに感謝しているそうです。1番セカンドとして認知されるようになったのは2004年の落合博満監督就任時からでしたが、それは、その前の山田監督(2002~2003年)の時にセカンドとして起用されたからこそ、というのがその理由です。
さらに遡って2001年。星野仙一監督の最後の年、チームは5位でした。
怪我人が多かったこともあり、この時から荒木選手が使われるようになりました。この時は単に機会を与えられただけでしたが、予想外に多く出場できたため、荒木選手は「自分でも調子に乗っていた」と語っています。
「その時、2割そこそこの自分を辛抱強く使ってくれたのは山田さんです」というのが荒木選手の言葉でした。
山田「星野政権の最後の年にね、私はヘッドコーチもやったんです。その時に、星野さんと、このチームは大改革せなどうしようもないねって話をすることが結構あったんですよ」
こう振り返る当の監督、山田さんですが…
「荒木と井端は外野も内野も守れる中途半端なポジションづけだったの!」
こう荒木選手の言葉を一刀両断する山田さん。
いったいどういうことでしょうか?アライバコンビは右中間だった
山田「スタートはそうです。あんな二人がセンターとライトだったら寂しいだろう?」確かに俊足で守備範囲が広いふたりですが、他のチームに比べたら非力な右中間のイメージが…と言う若狭アナ。
山田「調べたら、あの二人はどちらも本職は内野なんですよね。で、どっちもショート。ダブってんだよな~」
どちらも右投げ右打ちで俊足の内野手です。
キャラ被りの選手はチームに1~2組ぐらいはいそうです。山田「それと荒木は立浪に感謝しなくちゃいけない。何でかって言ったらね、セカンド立浪だったの」
1999年に神宮球場でドラゴンズが優勝を決めた時、最後にペタジーニのフライを捕ったのは、セカンドの立浪和義選手でした。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190308-00010001-cbc-base
ネットの反応
アンライバルドは
皐月賞馬!
落合もよく練習させてチームを優勝に導いたが、ベースは山田とヨッシャーが築いていた。
アライバに福留を加えたブルースリートリオ構想、今のファンはあまり知らないだろうな
首脳陣がベテランに遠慮していたら、アライバ起用の英断も出来ず、中途半端な便利屋で終わっていたかもしれないし、チームの新陳代謝も出来なかったかもしれない。
最後は監督の先見の明と、その期待に結果で応えたアライバ。その結果を努力でたぐりよせた。
今だから話せるいい話ですね。
山田さんは選手に敵を作ってたし
この辺り成績以外の解任理由もあったんじゃない?
悪い監督じゃなかったけどね。
敵は山崎、前田辺りは筆頭だったなw
二遊間 アライバ
サード立浪 ライト福留 あと、ゴメス?
めちゃくちゃ強いやん
山田さんは落合さんに匹敵するレジェンド、黄金期の阪急ブレーブスの大エースで監督としても地味だけど落合ドラゴンズの土台作りをした。
野球を見始めて最初に好きになったのは福留だった。
あるひその福留がショートではなくライトを守り、
変わりに見たこともない選手に。
と複雑な心境で見ていたがすぐに鞍替えした。
堅実な守備と粘り強いバッティング。
最近は中日絡みの仕事もしていて本当にうれしい。
荒木さんは以外にも打撃コーチをやりたいと言っていたので、
井端さんは守備コーチでアライバを見たいです。
いやーよか記事やわ…
どういう事情であれ、チャンスをもらった時に結果を出す。出なければ今まで以上に積み重ねてそのチャンスをモノにする…という展開的なパターン。
2人同時にチャンスが回ってきたってのが一番の奇跡なのかもしれない。
山田さんは名コーチだったと思う。でもたぶん、トップに立ってはいけないのかもしれない。
今はどうかはわからないけど、山田さんが監督になった時に、星野さんから「絶対、好き嫌いで選手を使うなよ」と釘を刺されたことがあったみたいで、そういう傾向があったのかもしれないね。
とはいうものの不憫な退任のイメージもあるし未だに好きなプロ野球関係者です^ ^
あのチームをよくここまで…今思えば才能が渋滞してた様な。それを確実な物にし、黄金時代の礎を築いてくれましたよね。
森さんも与田さんも,きっとそう言ってもらえる日が来ると思いますよ。
当時、オープン戦だと思うが山崎武司を中心にベンチで楽しそうに何人かの選手で盛り上がっていた。その輪に入らず、人目にはばからず芝生の上で腹筋背筋のスクワットをしていた選手がいた。井端弘和である。
山田さんて、政界だと谷垣氏みたいな人格者だね!
山田政権時代の福留、立浪の3、4番コンビが好きだった。
まさか立浪が4番を打つ日が来るとは思わなかったが、そこでキャリアハイの活躍を見せた。
当時中スポに荒木、井端、福留でブルースリートリオってデカデカと載ってたけどこの呼び名が浸透した記憶がない(笑)でもこの3人を起用してその後に繋げてくれた山田さんには本当に感謝です。
最後になぜ立浪を持ち上げているの?
星野のままだったらアライバも
キャッチャー谷繁もライト福留もなかった
山田さんはもっと評価されるべきだね
さらっとアライバだけじゃ無くて、福留外野まで成功させてるとか、今思うともの凄い眼力合あたんだな。
山田さんの英断だったね
読売蹴って投手コーチで優勝に貢献してくれて、強い中日の土台も作ってくれたのに本当にあんまりな辞めさせ方だった
嫌な思いしたのに、今でも名古屋で楽しそうに仕事してるの見ると嬉しい
藤嶋がそんな感じだったのに故障はホント残念だ
横浜ファンの僕からすると‥
アライバが打てない。って印象は全く無い。嫌らしくて、しつこくて最低最悪な2人だった。おまけに守備はエラーしたのは見たこと無い上にヒット性のあたりはアウトにされるは最悪な2人でした。しかし、偶然が重なった事が名コンビ結成の秘話だったんだ。いい話しありがとうございます。
山田さんは言い、監督、見る目もある。
中日は ちょっとフロントの応援が弱かったな
仰木監督と山田ヘッドがバランスとしても最適だったように見える、中日で言えば星野さんと島さん、落合さんと森繁さんみたいな、タイミングとしても中日は人材を上手く活用している。
山田監督は本当に落合黄金時代の礎を築いた功労者
アライバを誕生させたのももちろんだが、この記事にあったように福留をライトコンバートを決定した事
山崎を放出した事、谷繁をFAで獲得して中村武志を放出したこと
すべて山田監督主導ではないだろうが、ここから新しいドラゴンズが始まった。
残念な監督退任だったが、今でもドラゴンズ番組に出演をしてくれる山田さんには感謝しかない。
やはり本人の努力があってのコンビ。
山田さんは球史に残るサブマリンとして超一流の実績を残し、投手コーチとしても優秀だった。監督時代はわずか2年だったが、沈んだチームを立て直して落合政権へ繋いだ功績は大きい。
むかしサンドラで山田久志が
「スタメンじゃなくベンチにいる時でも『俺を使え』って目が訴えてた」と荒木・井端を評してた。
「今のドラゴンズの若い選手には、それがない」とも言ってた。
アライバが二遊間でなければ竜黄金期は来なかったろな
肩が弱い荒木が二塁
肩が良い井端がショートという判断も当然と言えば当然
あと下手くそな内野手だった福留を外野へコンバート
外野で福留が超名手になったのも竜としては大きかった
黄金期『守れない走れないのはウッズだけ』と言われた竜の象徴が荒木 井端 福留の1?3番だったのは間違いない
まぁ、ひと昔前の中日黄金期は星野さんが信長で山田さんが秀吉だよな。それでも家康なら凄いのに、とにかく何でもかんでも落合さんがえらい、
落合って俺が中日を強くしたみたいないい方してるけどその足場を作ったのは山田さんなんだよな。言ってもしないと思うが山田さんに落合は感謝すべきなんだよな。俺はそう思う。
落合は運が良かっただけやろ。今の中日に落合に監督やれって言っても無理だと思う。
打てない二遊間ってイメージだったのにね
結局野球はセンターライン。センターラインが強力なチームは強い。