岩手県陸前高田市の復興をけん引してきた戸羽太市長。そのスタートは過酷なものでした。市長に就任した直後の2011年3月、東日本大震災で奥さまを亡くされ、お子さんたちを親戚に預け、復興に取り組みました。

震災から8年になろうという今、同市では復興住宅の建設が進んでいます。その中で、最初から復興に携わってきた市長が感じていること、今後の震災に備えて必要だと考えていることを伺いました。(聞き手・文 医師・海原純子)

◇経験しないと分からないこと
――震災の記憶が次第に遠くなる中、陸前高田の復興を通して体験されたことをお聞かせください。

初めに心配したのは、子どもたちのことです。親を亡くした子どもが心配でした。2011年当時、親を亡くして孤児になった子どもは40人ほど。

片親を亡くした子どもは150人にも上りました。私も妻を亡くしたわけですが、うちの子の落ち込み方を見ているから、他の子もそうだろうと思うと、本当に気持ちが重くなるわけです。

私自身は市長をしているので、経済的に困窮していないわけですが、みんな、経済的な不安もあるし、家族を亡くしている。これをどうやって乗り切るのだろう、と呆然とした気持ちになりました。

3月の震災の後、学校は5月くらいから始まることになったんですが、私はその時、こんな状況で学校を始めていいのだろうか、と教育委員会と議論したんです。

こんな状態で学校に行けるのか、と。子どもは毎日、泣いて暮らしているわけですから。でも、不思議なんですよね。学校が始まると、子どもたちは元気になるんです。

◇学校で元気を取り戻す子どもたち
――みんながいるし、顔を合わせる場があるのは大事なんですね。

泣いてる時間がないんです。こういうことは経験しないと分からない。うちの子と同じように、お母さんを亡くして泣いている子に「学校へ行って来い」なんて言うのは酷で無理だ、

と思っている人はたぶん多いと思う。でも、そうじゃないんですね。「学校というのは、すごいなあ」と思いましたね。

【注釈】
「人は今考えていることが人生の全てになる」という言葉があります。つらいことと向き合う。それは必要なことですが、24時間そのことと向き合っていると、人生の全てが悲しみと嘆きで埋め尽くされます。

つらい日々の中で、仕事や他者との関わりなど、別のことに心のベクトルを向けていると、その時間は他の世界が広がります。

そうした時間をつくることは、心のケアで大事なポイントになります。学校に行き、勉強する、みんなと遊ぶ、体を動かすという時間は、悲しみや嘆き以外にも人生があると気付くことにつながります。

◇がくぜんとした参観日
――家に帰れば、また泣くかもしれないけれど、学校にいる間はそうでない時間がつくれるわけですよね。

でも、一方で問題も感じました。保護者参観日があったんです。私は忙しくて、とても時間がないのですが、妻がいないので、私が行かなければ誰も行けない。それで、10分でもいいからと思い、出掛けました。そこで、がくぜんとしました。「親子でボタンつけ」という授業なんです。

――それはひどいですね。親を亡くした子どもがたくさんいるのに。

私が行けたから、まだいいけど。親がいなくて、かわいそうな子どももたくさんいるし。びっくりして、怒りが湧きました。

学校の組織としての整備はできているけれど、子どもに対して配慮がある教師、ない教師はそれぞれで、こういうことが起きるのだと思いましたね。

◇つらい気持ちに立ち入り禁止
――やはり、こうした災害の後、学校の授業で行う内容も一度、マニュアル化して、整備しておかないといけないですね。プログラムを医師や臨床心理士が一緒に作る必要があります。

子どもたちは、しなやかだから、最初の出だしのところをうまく、きちんとすれば、落ち込まずに伸びていけると思うんです。

でも、最初に失敗すると、後が大変になる。だから、最初のプログラムは慎重に、大事にしていきたい。最初につまずいて、そのままになったらというのが本当に心配です。

――本当にそう思います。子どもには災害後、なるべく身体を動かす機会を多くしてほしいです。子どもはボキャブラリーが少ないので、つらい気持ちや悲しい気持ちを言葉で表現しにくい。

そんな時、身体を動かしたり、遊んだり、歌ったりというように、身体を多く使うことで、気持ちを表現できますから。

私たちが当時、気を使ったのは、親を亡くしてつらい気持ちの子どもたちが、少しでもそのつらさや、悲しさから離れられる時間をつくろうということでした。

――つらい気持ちへの立ち入り禁止時間をつくっておくことは大事ですね。


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ネットの反応

1.
親がいない子が可哀想だからってやらない方がおかしい。不快に思う人もいるんだからやめてくださいクレーマーが出来上がるぞ。親なしが1人ならやるんだろ??
2.
保育園の時の母の日イベントを思い出しました。
私は物心つく頃には母親がおりませんでした。
(震災とは無関係ですが)
父が育ててくれたのですが、
幼いながらに「母の日イベント」で絵を描いたり、お母さんにプレゼントを作ることができないことに切ない思いをしました。
周りはお母さんの絵なのに
私だけ母親がわりだった祖母の絵を描きました。

あの時、保育園にこの方のような
少しでも「親のいない子ども」の気持ちをわかってくれる保育士さんがいたら、
大人になってふとした時に当時のことを思い出して苦い思いをすることはなかったのかもしれません。

家庭に事情を抱えた子どもはいつの時代も居ます。災害とか関係なく、昔の私のような子どもたちに寄り添える、そんな大人になりたいです。

3.
( ゚д゚)ポカーン。

言うにことかいて、マニュアル化? マニュアル通りにしか出来ない無能教員達がやらかしたから、マニュアルの作り直しですか?

普通に考えたら分かることを分からないのは義務教育が義務教育として機能してないのですけどね…。やれやれ…(。-ω-)。

4.
今の時代。シングル家庭は当たり前。
だからこそ親子活動は考えるべき。親がいても参加しない親もいるし。
それでも震災後。あの恐怖経験と同時に親の死を経験した子供達は、計り知れない悲しみの中にいたと思う。大人達が子供をケアしないといけないのにね。
5.
それでなくても最近は片親の家庭は多い。参観会になかなか出席できない親御さんもいる。
マニュアル通り横並び、お決まりの授業に疑問を感じることがある。
6.
全体的にはいい話だが、「親子でボタンつけ」 は…参観日なんだから保護者の参加型授業というだけなんじゃないのか?
7.
震災関係なく、親いない子はいっぱいいる
8.
授業内容にクレームかあ。
学校側も大変ですね。
英語の例文で「お母さんが…」とかあったら、もうキー!ってなるのでしょうね。
9.
陸前高田、三年ほど前に行きました。
他の自治体と比べ、復興しなくてはならないところが広すぎて、ここは何年経てばもとのようになるんだろうと愕然としました。
配慮の足りない教員、たくさんいます。
10.
災害の有無にかかわらず、学校はもっとひとり親家庭に配慮するべき。
父親参観とか運動会の親子競技とかいらない事が多い。
11.
授業の内容をマニュアル化しなければとあったが、最低限必要なのかもと思いながらも、違和感も感じた。
教師という仕事柄、あの状況下で「親子で…」という授業を展開してしまう教師本人に問題がある。子どもたち一人ひとりのきもちに寄り添うことのできない人はこの仕事には向いていないと感じた。
12.
親子でボタン付けなんて。その場に悲しい気持ちの子供たちがたくさん居たんだろうなって思うと、胸が締め付けられます。
いくら決まっている事とはいえ、己の評価を恐れずに、子供たちの気持ちを第一に考えて、授業内容を変更しようと判断出来る先生の勇気と優しさが欲しかったと思ってしまいました。
13.
今どきの授業参観で親子で〇〇とか震災後でなくても無神経だと思う
14.
モンペが増え、キチ子を学校へ丸投げ、イカれ日教組と
文科省は低レベルの教職員を世に送り、使えないモノが
教鞭に立つ、真面目に対応すれば己自身が疲弊して自ら
の命を絶つ、何だかなあ。。。
15.
震災で親兄弟を喪った事は悲劇の上の悲劇だけど、世には事故や病気なんかで喪っている子も多い。震災は特別だから余計にかわいそうとかは少し違うと感じるよ。シングル家庭も増えて母の日とか父の日とかに違和感ある話も多くなってるし。虐待なんかも多くなってるし。
配慮は全てに必要だろうよ。


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16.
>。学校の組織としての整備はできているけれど、子どもに対して配慮がある教師、ない教師
子供に対しての配慮以前に、全保護者が参加できるか疑問のある授業プラグラムを組む想像力の無さ。
17.
親子作業も親子レクも配慮して中止が妥当
さすが市長!

教員の愚業は1つ1つ丁寧に取り上げてフルボッコする
吊るし上げて、叩きのめしてくれて、保護者はせいせいしていますよ

さすが被災された方に、これだけの思いを持っている市長だ!

18.
肝心の子供の意見はどこにも書かれてないのな。
まあ子供に不躾に質問するのもよくないとは思うが…
なんか第三者が勝手に同情して勝手に怒ってる感じだし、もうちょっと子供の声を拾うべきでは?
19.
主観が酷すぎる。
つか、参観日の内容より参観日自体が不用だったのでわ?
でも、震災後いつからなら今まで通りでいいのか?
親を亡くした子にとっては一生、参観日はいらないかもしれない。

怒りだけしかなかったのかな。

20.
親子でボタンつけ…
両親が来れなかった子どもに対してどんな対応をしたのだろう
両親を亡くした子どもが家に帰って作品を見てどんな気持ちになったのだろう
何故学校はそんな傷口をえぐるようなことができたのだろう
21.
親子でボタンをつける機会を奪われる子供の事はどうでも良い事なのか?
なんだか、少数派を意識し過ぎて多数の普通の子供の機会を奪ってやしませんか?
22.
正直保護者参観に関しては明らかな配慮不足。どうしても保護者参観を入れないといけない学校体制なのかは分からないが、それは特例でもなんでもいいから1番に子供の事を考えやめるべきだった。
子供はみんなといれば楽しくて笑顔になるけど、やっぱり1人になると弱くなるよ。あんな事がおこったんだもん、そんなにすぐ乗り越えらんないよ。
23.
怒り?よのなか理不尽なんだよ。震災なんて正にそのもの。あんなに理不尽な出来事があっても気が狂わないのは普段から理不尽に耐えてきたから。理不尽な体験は必要。
24.
その状況では「親子で」の言葉は避けるべきでしたね。ただ、教員多忙なのに、災害の後の処理をしながらの業務は大変だったと思う。
その中の1つの授業をとりあげて非難されると辛いと思う。また配慮出来ないくらい教員も追い込まれていたのではないかなとも思います。
25.
参観をする人がいなくなったのに
授業参観事態いらんやろ?
26.
いじめも一緒だよね。
今目の前のことしか考えられないというのは。
被害者も加害者も学校から離れて考えるチャンスがあるとお互いにとっていいのかもしれません。
27.
怒りの矛先を目についた所にぶつけている感じ。

一旦悪者を作らないと記事書けないの?

28.
最近は所謂昔ながらの親による授業参観という形式はとらない学校も多いよね。うちの子供の学校は土曜授業のある日を学校公開日にして近所の人なら誰でも見学出来るようにしてます。
29.
当時のことが思い出されて何も言えない気持ちになる。私に子供がいるから尚更かもしれない。子供たちの気持ちに寄り添った活動を今後もお願いさせて頂きたい。
30.
まず親子でボタンつけさせた教師は辞めて貰いましょう。


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