「おばあちゃまが作ったもの、食べられない」と娘が
母は60歳代後半になると怒りを爆発させることが多くなった。瓶のふたが開かないと床にたたきつけ、何かを盗まれたと騒ぐ。出版記念会の最中に「何で私のパーティーはないの」と大声でどなる……。

「なんて嫌な人。早く死ね」と心の中で毒づいていた。今なら認知症を疑ったかもしれない。1990年代当時は認知症ではなく、痴呆(ちほう)症やボケ老人の呼称が一般的だった。

「ボケってご飯を食べたことを忘れるとか、かわいいイメージでしょ。凶暴さとは結びつきませんでした」。自分への敵対心むき出しの態度にただただ憎しみを募らせた。

母は裕福な商家に生まれたが、父親が知人の借金の肩代わりで没落。女学校を中退して花柳界へ。後に法務大臣になった犬養健と道ならぬ恋に落ち、出産。

女手ひとつで料亭を切り盛りし、一人娘(和津さん)を育てあげた。引退後、家族と母は都心のマンションの別の階で暮らし、自分が仕事で出かけている時には、2人の娘の弁当作りなど、よく面倒をみてくれていた。

母の異常さは、娘も直撃した。次女のさくらさんが中学1年の時、「おばあちゃまが作ったもの、食べられない」と泣き出した。トンカツの肉は生、腐った和(あ)え物、雑巾を絞った手で握ったおにぎり……。

母が壊れた。性格の問題ではなく、何かが起こっている。大きな不安が胸に迫り、娘を抱きしめながら涙があふれた。

過労と睡眠不足で限界 出演中にコメントが出ない…
腐った食材も気にせずに食事を作るようになった母。頭部のMRI(磁気共鳴画像)検査を受けると、テニスボール大の脳腫瘍が見つかり、

「手術はできません」と言われた。衝撃よりも母の異常が病気のせいとわかって安堵(あんど)した。長い年月憎んできたことを悔やんだ。

75歳を過ぎ、母の状態は悪化する。就寝時間がずれて夜7時に寝て、午前2時頃に「おなかがすいた」と声を上げ、15分おきに呼ばれる。74キロを支えてトイレに連れていくのが難しくなり、オムツをつけたが、忍びなかった。

2003年、転倒がきっかけで寝たきりに。動けない分、楽になったが、深夜にタンの吸引が加わった。母の世話の後は午前3時に家族の食事を作って、わずかな睡眠時間で仕事へ。介護の厳しさに加え、家計も苦しかった。


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ネットの反応

1.
私もうつ持ちです
うつの辛さ痛いほどよく解ります

社会復帰おめでとうございます

2.
心身ともに疲弊して、体験した本人にしか分からない辛さですよね。
特に介護はいつまで続くか分からないし、どれだけ大変でも当たり前みたいに思われてしまう事もある。
お孫さんの世話をきっかけに色のある世界を取り戻すことができて、良かったですね。
3.
気持ちわかります。
4.
夫の映画って、芸術名目で美人女優を脱がせるためだけに制作していた感じがする。
5.
この当時はまだまだ、今のように入所施設はないですよね。今はコンビニなみに施設、ディケア、ディサービス、リハビリなどありますけど。
また、家族の介護はつらいです、変わってしまった親、年老いた親、立場が変わってしまった親子、本当に辛い。言葉は悪いが、分からず屋で頑固で気性が荒くなっても本人にはその変化がおかしいとも気づかないし、まわりを振り回す。
年はとって体は老いても、そういう態度で子どもに向かってくるから、大変な気持ちですよ。
救いは、家族がぐちゃぐちゃにならなくてよかった。
6.
お母様が84才で他界され、それまでの介護で鬱を発症されたそうですが、側から見るとさほど大した介護はされていないと推察致します。
まず!ご家族に恵まれておられる事、資産もあり
安藤さんご自身は生い立ちも恵まれた環境であります。
一般庶民の最悪な介護生活とはかけ離れています、これは断言できます。思いやりのある夫と娘さんがお二人もいらっしるなんて理想的ですらあります。私は100才まで母を介護しました。
一人っ子の為全て一人で解決し、93才まで在宅で介護及び看護し、80代後半からは認知症も進行し修羅場でした。頼りはケアマネさんだけでしたから。ヤフーニュースで介護の大変さをアップされていますが、本物の介護の多分3割程度しか体感されてないと思います。
7.
昔、「犬養和津」さんでお仕事していましたよね。その後、犬養家からの要望?で改名されて。いろいろご苦労もあったと思いますが、まだコメンテーターとしての席があるのは凄いことですね。
8.
うちはこのケースととても似ています
暴言 飛び蹴り わがまま 怒鳴る
要介護にもならず 抗うつ剤も聞かず
高級品ばかりを食べて 楽をして
それが出来なくなると怒鳴る 暴言の繰り返し

どつかれ痛くともアザはすぐに消えます

家族は心にDVを直球で投げてくるので
最近わたしは笑えなくなり ガクトさんみたいなサングラスをかけて買い出しに行っています

9.
そんな十数年前の話…どうでも良いやん!

新ネタは無いの?
脳が枯渇してるよ?

10.
本当にその通りですね。経験者の話は参考になります。もっと頑張らなくてはと、思わない方が、良いのですね。実践します。
11.
奥田さんの女性関係も 火に油を注いでいたのだろう
12.
近頃 大流行りの病気自慢。
重い方がよりカッコいいんだね。
普通の人はみんな 自分で何とかしてます。
13.
だから昔は姥捨山なんてものが、認められていたんだろうなあ。
14.
病人はいろいろとサポート受けられるけど支える人には何も無いからな
無償でやるのが当たり前の空気の中で人様に話せるような話でもないし一人で抱え込んで孤立していく
例えその期間が終わっても過ぎた時間は帰ってこないしウエイトが大きかった分空っぽになる
支える人に還元があるような社会になって欲しいね
15.
介護ってほんとに大変や、想像もつかない。
そんな心配のない天涯孤独の身の上もそれはそれで誰も面倒見てくれないから大変や。


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16.
夫についてはその件よりも、
‘女子大生を薬で眠らせて乱暴した事’の方が大きかったのでは?
17.
外からは、計り知れない苦労なんですね。

幸せそうに見えていても内情は違います。私の母も認知症で施設。
施設に入るまでは、私を敵みたいに攻撃、怖かった。
安藤さんと同じ。
病気とわかっていても、理解できない時がある。
安藤さん
これからは、人生を楽しんでください。

18.
うちの母が将来父の介護で
介護うつになっても
ハイミスの私には
孫のかおを見せて
元気にしてあげることもできない。
介護離職して共倒れになってしまおうか。
19.
読んでるだけで、息が詰まる感じ。言葉は良くないけど、生き地獄だったのですね。ただ、最後は少し救われました。
それにしても芸人さんの持つ力って凄いなぁ。
20.
安藤サクラさんもこの人も瓜実顔で昔の花柳界にいたら確かに
首相にも気に入られそうな感じだね。鬱が開けてよかった。赤ちゃんの力って偉大なのだね
21.
恋なのではなく、妾。そこには損得勘定が成立してるはず。
22.
いい文章。朝一で読みたかった。
つくづく旦那は元ホームレス、依存型能天気だと思った。
23.
過去の話しより、今の滑舌の悪さ、表情のなさ
そちらが気になる。
24.
風来坊の旦那だし
すべて1人で抱えていたと思う。
お孫さんという天使に助けて貰って
今度は自分の幸せのために生きたらいい
25.
この夫婦は昔から大嫌い。自分らの苦労話しを盛って話す売るから。夫婦揃って役者の仕事が無い。この写真も化け物だな。ブサイクなのは娘ソックリ。
26.
だから、この人はオーバーに言い過ぎ、言うほどやってないから、いつかそれを裏付ける事を娘さんが話していた事がありましたしね。
27.
和津さんの壮絶な体験談、初めて目にしました。そして、心が少し軽くなりました。
私だけが苦しい思いをしているのではないということがわかり、いずれ苦しみから解放される日が来るという希望が持てました。

頑張りすぎて身体を壊し、出口が見えず苦しんでいる自分には大変共感できる話でした。

よくぞ復活されました!!
私も頑張ります!

28.
映画作る役者さんで成功された方いるのかな
勝新さん裕次郎さん皆さんすごい借金だったらしい
29.
この手の人って必ず鬱でした、介護大変でしたネタ出してくるよね?。そんなの生きてればみんな通る道だよ。お金があるだけいいじゃん、甘えんなよ。かまちょもいいところ。
それにこの人自分は偉い人の孫だかなんだかネタも半端ないけど結局は妾の子。人の家庭に踏みにじった母親も最低だけど、それをネタにして芸能人やってるこの人もなんだかなー。
30.
共倒れしなかった肝は、
「抗うつ薬には抵抗があり」で飲まなかった事だと思うよなぁ?


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