ネットの反応

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記事を読む限りでは、いかにも気の毒な内容だが、

目黒区がいきなり家賃支払いの訴訟を起こすわけもなく、

長年にわたって本人と役所とでやりとりが

あったはずだ。

それについての記述が全くないので

記事を鵜呑みにして同情出来ないね。

1-1
今は、23区内でも5万円代で住める。マンションではなくアパートタイプだけど、一人で住むには悪くない間取り。自分も、可能なら住み替えたいくらい。月に数万の違いは本当に大きい。23区内だから、5分も歩けば駅もある。
同情すべき点は、ご主人の看病に追われた、、、という点。確かに病身のご主人を抱えたこの方に引っ越しを迫るのは酷。ただ、読んでいくと2018年10月にご主人は亡くなられ、区から「不法占有」を通知する手紙が来たのは2021年7月。この方がおひとりで約3年すんでいらっしゃったこの期間について、何か事情があったのか知りたい。記事では「そして月日は過ぎ」としか書いていないので、判断ができない。
1-2
途中の経過がわからないと何とも言えないですよね。
有料の提示があってから猶予はどのくらいあったのか…例えばそれが1週間しかなくて、病気などで出て行くまで3ヶ月かかって60万払えと言われたなら、少し同情する。
3ヶ月以上前に提示されていたなら、何とかするしかないでしょ。
「慌てて知人宅に身を寄せた」のが遅すぎる。
1-3
役所も鬼ではないから、急になんてあり得ない。
かねてより支援は有限だということが伝えられていたはずで、ようはそれを無視して居続けたことになるんだよね。
つまりこの被支援者は、役所からの通告を何年も無視し続けたという結論しか得られないんだけど、まぁ同情する人は私財でやってくれよ。
1-4
そんなの認めてたら、それこそ台風や火災で家を失った人も、みんなゴネれば良いことになっちゃうよ。期間限定なのは誰が考えてもわかること。抽選だって、都営住宅は10年単位で一回も当たらなかった人は普通にいるのに、私だけ優先しろと言ってるようにしか聞こえません。
1-5
立地条件にこだわらなきゃ都営なんて空室がいっぱいあるけどね。
病気の旦那さんを抱えて転居は大変だけど、思い切るべきでしたね。
そして自主避難の方々が無償期間を過ぎたあとも居座って、家賃すら払わないのもなんだかな~。
避難区域じゃ無い方々でも地震や津波で崩壊しても自力で頑張っている人もいます。
1-6
目黒ではないが湾岸区が提供したマンションに住居している被災民は区からの退去勧告を無視し続けているなんて事例もあると聞く。
この人に都合のいい事実だけ羅列して被害者ポジを取っているだけに見えるがどうかな。
他の人も言っているようにいきなり区が訴訟を起こすとは考えにくい。
相応の不誠実な対応があったのではないだろうか。
1-7
もっと他の報道で、台風などで被災して借り上げ住宅はあるけど入居が通らないのは、東日本大震災時の避難者が有限なのにいつまでも居座る事例が散見されて貸す側が嫌がってるからだ、とありました。
まさにこういことの積み重ねが他の被災者の福祉への道を閉ざすんだなぁと思いました。
1-8
広さがわかりませんが、恵比寿で世帯向けであれば20万円程度は普通ですね。
この方も大変だったのでしょうが、他にも訴訟を受けた方はいるとの事ですが、それ以上に、訴訟には至らず生活を営まれている方の方が多いのではありませんか。
1-9
可哀想だけど仕方ないとしか言えない不慮の事故は誰にでも起こるもので、その全てに支援していたらキリが無い

同情はするし、出来る限りの支援はすべきだが、
被災から何年も経っても無料で住み続けるのは現実的におかしい

家を建てた時点でそこまで考えられる人は少ないかも知れないが、そういったリスクの為に保険があるんだし、とても重要なことだと思う

1-10
年金はどうなのか?貯蓄はどうなのか?
赤字では有ったとしても事業を立ち上げていたのであれば、様々な措置を受けられたと思うんだが、何もしなかったのだろうか?
大変なのは理解できるけど、この人達が悲惨なのであれば、高額なローン組んで漁船持ってる漁師さんなんてもっと大変なんじゃないの?
2
訴訟を起こされた途端に慌てて部屋を引き払えるのなら、期限が切れた段階で早々に転居すべき。その場所に無償で住み続けられたのはあくまで税金での支援があったから。本来はその間に生活を立て直したり、どうしても無理なら生活保護を申請したりすべきでは。どちらにしても都内の一等地に無償で居住できる特権は誰にもないはずです。厳しいようですが、被災者支援、高齢者支援の名目ならなんでも許されるという訳にはいかないと思います。普通に暮らしてる人は高額な住居費用に喘いでいる。これを許せば逆差別です。
2-1
田舎の人は東京の一等地の家賃の高さを理解していないし、いつまでも住み続けたいと言うことを言い始め、訴訟ざたになっています。確かに田舎に比べて便利だし、にぎやかで日々暮らすのは楽しいでしょうから。

しかしながら働かない限り、この生活を維持できないのも事実です。

確かに被災して大変だったと思いますが、気仙沼に戻る家があるのなら、戻る以外に方法はないと思いますね。

立ち直るまでの十分な時間と支援はあったと思います。

2-2
>夫が亡くなり一人になってショック受けていたのもあるかと思う。途方に暮れてどうしたらいいのか判らず、ズルズルときてしまったのでは。3年間ずっとショックを受け続けてたけど、訴訟を起こされたら即動けたんですね。
不思議ですね。

2-3
同意します。被災直後、その後の支援、皆の協力が必要ですが、未来永劫一等地に無料で住めるはずありません。
2-4
逆に言えば、訴訟を起こされなかったらいつまでも不法に占拠(言い方が難しいですが、事実なので仕方がない)し続けた訳で。
やはり必要な訴訟だったと思います。
この方はもっと早く、勧告を受けた時点で動かなければいけなかった…。
2-5
>慌てて部屋を引き払える
思った。引っ越せるんじゃんって。立ち退いてくださいっていう説明の時に、住み続けるなら家賃は幾らって説明なかったのかな。
家も仕事も流され余命短い家族の看病で
大変な状況かもしれなかったけど、
5年以上経ってれば、家賃無償終了後のことを考えて動いてないといけなかったよね。
役所にそういう相談窓口ないのかな。

2-6
大変気の毒ですね
自分は避難所→仮住まい→仮住まい→復興住宅と言う経緯を辿りましたが、仮住まいで一時的に東京暮らしは理解出来ますが、そのままはさすがにマズかったのではと感じますスミマセン…復興住宅とは言え、家無くなっても身内に病人や障害者いても優先的に入居なんて出来ませんでしたが、みんななんとか頑張ってここまできましたよ
2-7
共同住宅っていうからもっと古くて昔の長屋アパートみたいなの想像してたけど高級マンションみたいでびっくりした
ご主人がなくなった時点で看病はないのだからどんな仕事でも見つけられたはず
すぐにそこを出るべきでしたね
2-8
土地勘がないとか言うのなら故郷の気仙沼に戻れば良かった。そこにお墓を建てればそもそも東京に固執する必要だってなかったはず。
過去に東北に戻った際の理由にもあるように、恐らく東北にならつてもあったはず。
それなら公営住宅の倍率だって東京程高くないはず。
なぜ高い住宅を斡旋されたのかって、空きがない中で、年間200万以上の収益が出る物件を避難者のためにわざわざ貸してくれたのに、空きもない公営住宅を貸せなんてわがままにも程がある。
弱者ですと主張すれば支援者が現れて、自分達の過失を「月日は過ぎ」なんて言葉で誤魔化して、いかに困窮しているか訴えるパフォーマンスにしか見えない。
生活保護だってその土地が気に入ったけど働けないから保護を受給したいなんて人もいて、故郷に帰れば良いのにこの街が好きだからと帰らない。それでもその市区町村で対応しなければならないし、気に入られるのもリスクになってしまう。
2-9
色んな事情はあるにせよそれは震災だけでなく皆同じじゃ無いかな。震災後6年は無償で提供してもらってて、その間区営住宅に応募し続けて、て事だけどそれだけでなく他にも方策はなかったかな。期限の切れる前に役所に相談行くとか東京以外を当たるとか。旦那さんのご病気もあって仕事もなかなか、てわかるんだけど東京出れば仕事もあると思うし。最悪生保頼る事もできたかもだし。区も強制退去もできた筈だけどそれはしなかったのはせめてもの情けと思う。でもそれに胡座かいて放置してたのはね。。みんな色んな事情あるんですよ、震災だけじゃ無い。
2-10
おそらく支援打ち切りの数ヶ月前には何らかのお知らせが来ていた筈ですし、困る様なら何らかの相談ができる様になってたはず。支援が自治体だけしか書かれていないが国からの支援だって今まで11年間で100兆円は超えてるはずだし、復興と言うのは一生を保証する物では無い。失った物は元には戻ら無いのだから感傷に浸るのはもうやめにして欲しい。
3
正直被災したのは心を痛めるが、その人たちには支援があったはず。
12年間の時間もあったはず。
12年間都心で生活ができていたって同じ東京でもはずれの方に住んでる身としては恵まれていると言っても過言ではないと思う。
自分たちで今後のことを考えるとできることはたくさんあったと思うけど、それをしてきていない結果追い出されて裁判になってるってその裁判費も税金です。
実際周辺の家賃に比べて高いならわかるけど、相場通りなら文句の言いようがないと思うけどね。
3-1
無料で一定期間住めていたのだから、その間に貯金をして出ていってもらうというのは普通の支援のあり方だと思う。
被災したから死ぬまでタダです、なんてなるはずがない。旦那さんの病気でお金がかかったという面はあるだろうけどもね。
3-2
阪神大震災の時にもちゃんとした復興住宅(マンション)が建てられて、県や市から一時的に避難しているから優先的に入居できるようなシステムができていました。時間軸で言うと震災から5年前後ですが、小学校の一部に無料で住んでいた一部の被災者が居座ってもめていた時期です。結局、公園に建てた一時住まいのプレハブも全て解消するのに震災から7−8年程度かかりましたが、その頃には神戸の街も住宅もインフラもほぼ元に戻っており、ほとんどの方が被災者から普通に生活に移行されていましたし、会社や工場がなくなり職を失った方々も大勢いましたが、違う職についたりして人生を先に進まれていました。
「12年では暮らしの復興は難しい。」とありますが、阪神大震災の時は遅い人でも7−8年でしたよ。
震災から10年経った時点で、あの時は大変やった!という振り返る節目と思うのですが。。。

3-3
すでに十分な期間の支援はあったはず。家賃が払えないのなら安いところに退去するしかない。区もそうした、生活保護系の住居を支援するようなグループにつなげてあげるべきでは。
3-4
生活立て直せない場合も人もいるだろうから、立て直せなかった事自体は責めなくてもいいんじゃないかな
特別待遇期間が終了しても特別待遇期間を延ばして欲しいと要求したのが厚かましかっただけで
生保受給とそれ用の転居先の相談になら区も応じてくれたんじゃないかな。居座る為の相談じゃのってあげよう隙がないよ
3-5
急に訴状が届くはずもなく、3年間家賃の請求・督促は複数回絶対あったはずで、そこには触れられていないで、被災者だからと同情はできないよね。
3-6
被災があっての話になってるけど。
被災してなかったら?「それまで大赤字だったので、ようやく新商品が出せる…」とか言ってるけど。
たぶん新商品を出してたら、さらに赤字が膨らんで破産してたかも知れない。

そういう人の話だと思う。

3-7
阪神大震災時の仮設住宅でも同様の問題がでてますね。
テレビ等では還暦過ぎなのに出て行けと行政から脅されている、と報道ありましたが被災時を逆算すると40歳前後。
大多数の住民は独り立ちしており、健康そうなのに四半世紀も何してたの?と疑問しか湧かなかった。
3-8
震災の影響とそうじゃないもの(夫の病気・事業が大赤字)をごちゃごちゃにして記事にしちゃってるね。住居はあくまで次の居住先を探すための一時的なもので事業が失敗したり、夫が先立った人のための家賃補助ではない。
そうならないために高い生命保険とか地震保険(津波含む)をみんなコツコツ支払っている。生活保護という別の制度もある。これは憶測だけど、生まれ育った知り合いがいる土地で生活保護受けるのが嫌だっただけじゃないかな。
3-9
さすがに20万の部屋に居続けるのは無理があるだろう。旦那さんが亡くなられたのは同情するし、看病でその前に仕事や部屋を探すのは難しいだろう。旦那さんが亡くなったあと49日間ぐらいは心の整理をつける期間があっても良いだろ。
問題はその後だ。そこから3年間はさすがに長すぎる。コロナ禍なら無理やり理由つけれなくも無いけど、まだそんな時期じゃない。1人で知らない土地で新しく再出発は辛いかも知れない。だけど身を寄せれる知人がいるなら、最初からそこに相談すべきだ。被災者への過剰な支援が甘えを当たり前のことにすり替えたのかも知れない。
3-10
一人でどうにかしようとしたのだろうか?
そもそも収入もこの感じだと極少額と思われ、
先ずは生活保護申請とかが必要だったんでないの?
んで、安価な福祉住宅への転居ね。
今目黒区だからって同区内、あるいは近郊で探しても、高級住宅街だし、条件に合う物件が有ろうはずも無い。
だって、田舎とは同じ広さの部屋でも3倍以上家賃が高い事も有るんだから。
結局は、結構世間知らずというかそういう部分について調べずにやって来てしまったのが結果的に今なんでない?
4
この記事も中途半端だね。住宅支援が切れた2018年3月から訴状が届いた2021年7月までの経緯がない。当然、この期間において目黒区からの何かしらの話があったはず。「どこの不動産屋も部屋を貸してくれない」と言いながら、「あわてて部屋を引き払い、つてを頼ってなんとか知人宅に身を寄せた」とある。部屋を明け渡せたにもかかわらず、明け渡さなかったと言うことだろう。「建物を不法に占有」と言われても、間違いではないだろう。それも「JR恵比寿駅の徒歩圏内で、都内でもかなりの好立地」となれば、いろいろと言い訳を並べ立てて居座ったと判断されても文句はいえない事案だと思うけどね。安易に「かわいそう」と言うだけで同情はできない。
4-1
不便で狭い仮設住宅に住んで 高い家賃が発生した
というなら
それなりの同情の余地もあるけど
支援打ち切り後でも 東京都の一等地に住み続けたのなら
それなりの家賃が発生することは
誰でも 理解できること共同通信のタイトルは
ちょっと 一方的すぎる

4-2
夫や自分が体調不良だの亡くなって大変だのは被災者に限らず誰にでも起こり得ることでそれを言い訳にはできない。
現に家を引き払うことができているのだからその時起こした行動をもっと早い段階で行うべきだったと思います。
どうにかなるだろなどと安易に考えずに即行動。
入るべき家賃が入らない側も大変なんですよ。
4-3
ちょっと一方の言い分に偏り過ぎだよね。
まず支援打ち切りも事前に通告されている。役所と交渉も打ち切り期限がきた後。おそらく訴状が届く前に家賃の請求も複数回あったはずだが、そこの経緯は何も書いてない。事情があろうとも3年も居座っているのは事実で、流石に被災者だから気の毒とはならなに。
4-4
2018年の時点で知人宅に身を寄せて就活してればよかったのに…震災が起きたのが2011年、7年経ってる。ご主人の状態が悪ければ介護保険も使えたはずだし2011年の時点ではまだ50代ですよね…。うちの義母は50代でアルバイトから正社員になりましたよ。探せばあるし、歳だから貸してくれなかったのではなく借金がある上に定職に就かず収入がないからでしょ…
4-5
夫の病気で東京へとありますが、よりによってなんでここを選んだのでしょうか。目黒区から提案を受けてとありますが、恐らく都内でも病院に通える立地も含め数ある候補の中の一つに目黒区のこの物件があってご自分達で選んだのでしょう。
元々東京に住んでいた人が、恵比寿駅から徒歩圏内がどんな土地で具体的家賃額は別にしてもどれだけ高額な立地かを知らなかったはずはないし、支援打ち切り後の行動が稚拙すぎる。
4-6
私も同じ箇所に引っ掛かりました。どういうことなんでしょう?
理由があって引き払えなかったなら驚いてすぐに引き払うなんて事も絶対出来ない筈ですし、いざ強制執行を突き付けられて直面している現実に日和ってしまい、妥協する行動を見せたらその後優しくしてもらえるみたいな甘い考えを持っていたように思えます。何だか最近記事内容が『お役所仕事・冷酷な公的組織』vs『可哀相な一般市民』みたいな構図を目論んだ、対立煽りを焚き付けたい意図が透けて見えるような記事ばかりで辟易します。

政治不信は確かにありますけれども、その流れに乗って不当に貶めようとするのは全く別ベクトルの話であって、そんな流れにまんまと乗せられてしまうような感情論至上主義の方は冷静な判断が到底出来ないですし、「『不憫』を理由に全てが正当化される訳がない」くらいいい加減学んで欲しいですね。というかクラウドファンディングでもすれば良いのでは。

4-7
2018/3~10はたぶん動こうと思っても動けないでしょう。
仕事も住むところも得られる状況にはない。60台女性で介護による時間制限ありでは仕事はないし、貸してくれるところもない。
とはいえ、通知のあった2017年時に相談しに行かなかったのは判断がよくないでしょう。
問題はその後かな。居続けたのも完全に失敗、判断ミスでしょうね。
4-8
それ以前に避難して目黒区の住宅へ移った時点から、無償で住める期間の通知はあったはずでは?
それまでに住み続けられるだけの収入を確保するか、転居先を探すことが出来たのでは?
記事を読む限りでは、ご主人が脳梗塞になって頭が真っ白になって精一杯だった。とのこととだが、それ以前に何年間も準備期間はあったはず。身近に阪神大震災で被災して離れた親せきを頼って他県に移り住んだ方がいましたが、そちらは50代で移り住んで中古ですが自宅を購入されて60代でご主人は逝去されたけど奥様は定職に就いて普通に暮らされています。

いざとなった時に国や役所は助けてくれないのだから、助けてくれているうちに自分で何とか生活出来るだけの準備が必要。
全てを国や役所に頼ってはいけません。

4-9
気仙沼市の家が持家だったらもっと絶望だし、ローンなんか残ってたから経済的な負担は更に大きい。
貸家なのでそういう部分では身軽ではあったと思う。
4-10
事業を起こし結果が出る直前に津波被害。それは本当に気の毒だと思う。
一方で元々東京在住だったそう。
ダンナさんの病気で思考や活動が狭まってしまったのか。
でも元都内在住なら、他に手が打てそうな気もしたり…。津波被害にあわれた方にはいたく同情します。

5
法的手続きを取り、不払い家賃を回収しようとしている区は、職務を全うしていて信頼できると思いました。
家賃は、目黒区民の税金がみてられており、法令で定められている期間が過ぎたら、支援を打ち切るのは当然です。
制度のはざまと言っていますが、10年近くも、家を無償提供されており、区は十分、支援を行っています。震災を理由に、無期限で無償提供されると思っているのは甘いです。
立ち退きを要求された時点で、不払い家賃は請求されると考えなかったのでしょうか?診断書を出せば、行政が特例で一人だけ支払いを免除してくれると思っているのなら、甘いです。

750万円、支払うべきでしょう。
大家が不動産を貸してくれない、夫が病気だった、職がないと、理由を色々述べておりますが、震災から10年近くたっており、その間に自立する道筋が立たなかったとは考えずらい。
今からでも、アパートや職を探せばいいのでないでしょうか。

5-1
>住宅の相談が出来る課に案内しなかったのでしょうか?
区は案内したと思います。
今回の訴訟は議会の承認を得ていますので、区内でもよく検討され、ご本人と何度も対話されたはずです。
何の対話もなく、突然、立ち退き請求、訴訟はあり得ないでしょう。
5-2
練馬のJKK物件に住んでましたが、
普通に定年後の一人暮らしのおじさんとか引っ越してきてたので、借りれないことはないと思うんですけどね。
JKKなら更新料もないし多摩地域とかは空きも結構あるけど、目黒が良すぎて動かなかっただけでしょうね。
5-3
このおばさん、境遇は確かにかわいそうだとは思う。しかし、10年間都内に住むとなると、家賃だけで1000~2000万円は軽く行く。それを支援してもらつている間に、立て直すのか破産するのかなど、いろいろ考えられたのでは?
自分なら、退去勧告危険信号と捉えるし。勧告が来た際に、神奈川とかのボロアパートに行ってパートし始めれば、こんなこととは無縁の、それなりの生活に立て直せたのでは?と、私は思いました。

5-4
2018年の被災支援打ち切りまでは、当然無料で住んでいいと思うけど、その間家賃が浮いてたわけだから、夫のお見舞いに行きつつパートもしてお金貯めて自立する準備をしていかないといけなかったんじゃないのかなぁ…。入院してるんだから夫を24時間介護してたわけじゃないだろうし、都心なら60代でもパートの仕事はたくさんあるけどね。とりあえず働けば職場の名前を書類に書けるから安いアパートでも借りられるわけだし。結局夫がいないと何も決められないし、働きたくない人だったのかなと思う。
5-5
公営住宅に応募したけど当たらなかったとある。
じゃあ公営住宅に入れた場合の支払い家賃相当額はどうしたのだろうね?
退去期限が来たら、それを原資に弁済提供しても受け入れ拒否されたかもしれないけど、供託するなり一部払を交渉していれば750万円になっていない気がする。
どうしようもなかったから、不当利得として膨れ上がっていったようだが、この間ずっと事情から目を背けて、訴状で初めて現実に直面したというのだろうか?で、記事は特優賃だという。支援が打ち切りで家賃支払いががあるとすれば物件家主と交渉を持った(持つべきだった)はずだと思うのだけど。
そこに特殊要因がある、というならかなり身勝手にも読めるのだが。

5-6
そうですね。
被災されたことについては何の落ち度もなく、ただただ同情します。
しかし多くの人々が支援を受けながらも再起を目指して、復興の一助となったり違う場所で自立しているはずです。そういった方々はニュースに出てきませんしドラマチックではないかもしれませんが、尊敬に値する立派な方々です。
5-7
経緯から言って全額支払うべきだけど、財産もなさそうなので自己破産すれば免責されると思う。
多分周りの誰かがそんな知恵をつけるでしょう。
5-8
訴訟支援してる人が800万円払ってあげたら?
役所が即日退去を迫らなかった分の配慮や落ち度は、2ヶ月分くらいしか減免できないと思う。減免されたらそのぶんを今後都内に住む引っ越し代にしてあげれば優しい。
5-9
高齢の方なので簡単に自立は出来ないとは思いますが早い時点で、役所等に相談すればもう少し何とかなったのではないでしょうか。
5-10
東京でも23区じゃなくて市の方なら空き家とか多いし防犯のために無料で住んで貰うのもありなのかも?と思ったけど高齢者には都心の方が便利なんだろうな。